TIME IS LIFE

撮ること・書くこと・歩くこと

転職を繰り返して分かったこと

この違和感は何なんだ。

 

夜明け前。

 

何か分かりそうで眠れない夜。

 

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2008年11月。

 

新しい店で働きはじめた。

そこは各駅停車の最寄駅から5分ほど歩いた小さなイタリアンレストラン。

 

これまで大手フランチャイズから個人経営の店まで様々な飲食店で働いてきた。

多くの店で働いてきたのは、将来自分の店を持ちたかったから。

 

独立するには何が必要で何をしなければいけないのか。

 

その勉強をするため「この店ではいつまでにコレを学ぼう」と期限と手に入れたいスキルを明確にして様々な店を渡り歩いてきた。

 

 

そして、多くの店を渡り歩く中で異なる正解や異なる常識にいくつも直面してきた。

 

ある店では正解であっても、別の店では不正解となる。

自分の身を置く環境によって正解や常識は変わる。

 

(一体正解は何なのか?) 

 

そのことに違和感を持ち反発する時期もあった。

 

しかし、様々な店を渡り歩く中で「本当の正解など無い」という一人言をいつも頭の中でささやくようになっていった。

 

そう思うようになったのは、どの店もそれぞれの正解や常識の中で営業を継続していたからだった。

 

例えば、次々に新しいやり方を取り入れる店もあれば、昔からのやり方にこだわり続ける店もある。

 

前者はイノベーションや革新的といった言葉で、後者はカルチャーや伝統的といった言葉でそれぞれ社会的に認められている。

 

両者の正解や常識は異なる。

 

どちらが良い悪いの話ではない。

ただ違う価値観の世界にいるだけなのだ。

 

だから自分の身を置く環境によって正解や常識が違うのは当たり前のことだったのだ。

 

 

しかし、その社会的な正解や常識を鵜呑みにして、そのまま自分に当てはめてしまうと、やがて心の奥底が苦しくなってくる。

そもそも自分以外の価値観で作られた正解や常識が、自分にそのままフィットすることなど有り得ないのだ。

 

だからそれぞれの常識や正解を受け入れつつ、自分にとっての正解を求めていく必要がある。

 

しかし、それは全くのゼロから何かを作り出すわけではない。

 

今ある正解や常識に自分の価値観や考え方を融合させていくような感覚。

社会的な正解や常識のいいとこ取りをしていくような感覚。

自分の好みやスタイルに合わせてカスタマイズしていくような感覚。

 

そんな感覚で目の前にある正解や常識と向き合っていけばいい。

 

その自分にとっての正解や常識を創り上げていく過程そのものが「自分の人生を生きる」ということなのだと思う。

 

 


ところで当時勤めていたイタリアンレストランの話。

 

そこのオーナーは時々ふらっと店に現れては、忙しい時間にもかかわらず長々と厨房に居座り腰を下ろしていた。

いい人なのだがちょっと厄介なおじさんでもあった。

ただ、いつもゆるりとしていて穏やかな人だったことは今でも良く覚えている。

 

これまで様々な店を渡り歩いてきて、様々なオーナーに会ってきた。

イタリアンレストランのオーナーのように、店の外にいるオーナーもいたし、いつも店にいるオーナーもいた。

 

店の外にいるオーナーはいつも穏やかだった。

店にも時々顔を出す程度で直接会う機会は少なかったが店は円滑にまわっていた。

 

逆に、いつも店にいるオーナーは辛そうだった。

店は常に自分が居なければまわっていかない状態で従業員の管理にも追われる日々。

仕事は夜遅くまで続き、家には寝に帰るだけ。独身だったらそれでも良いかも知れないが妻子のいる身でそれは辛い。

 

どちらも特定の店舗や個人の話ではなく、いくつもの店で同じような現実を目の当たりにしてきた。

この違いはいったい何なのだろうか。

将来独立するためにも向き合わなくてはならない現実だった。

 

 

店の外にいる穏やかなオーナー。いつも店にいる辛そうなオーナー。

 

この異なる現実にいるオーナーの最大の違い。

 

それは「働き方の違い」なのだと思う。

 

 

店の外にいるオーナーは、自分が店にいなくても店がまわる仕組みを作るために働いていた。

 

いつも店にいるオーナーは、自分も仕組みの中で働いていた。

なので店が営業している時間は仕組みの中で働き、それ以外の時間で営業以外の仕事をこなさなければならない。

つまり多くの仕事を抱える仕組みを自分自身で作ってしまっていたのだ。

 

店の外にいる穏やかなオーナー。いつも店にいる辛そうなオーナー。

 

当時、ぼくは独立するのであれば店の外にいるオーナーとして独立するべきだと思っていた。

お金をたくさん稼ぐためには自分一人の労働力の及ぶ範囲だけではなく、お金を生み出す労働力となる仕組みをたくさん作ることに専念した方がいいと思っていたからだ。

 

しかし、今となっては独立するためのビジネスモデルとして必ずしもそれが最善の方法だとは思わなくなった。

 

人には向き不向きがあり、好き嫌いもある。

お金を稼ぐことも大切なことだが、喜びや幸せを感じることも大切なことである。

 

そもそも多くの場合、喜びや幸せ安心感などの感情的な欲求を満たすためにお金を求めるようになり、お金を稼ごうという動機に繋がっていると思う。

だったらお金を稼ぐ過程においても感情を大切にできないものだろうか。

 

例えば、店作りが好きで好きで堪らない人がオーナーであれば、店が円滑にまわっていく仕組み作りに専念することで、店を作ることの喜びや幸せを感じることが出来るかもしれない。

 

同じように、料理を作ることが好きで好きで堪らない人がオーナーであれば、仕組みの中に自分が入り料理を作り続けることで、喜びや幸せを感じることが出来るかもしれない。

 

つまり仕組みの中にオーナー自身が入ることは問題ではない。

多くの仕事を一人で抱え込み疲れてしまうことが問題なのだ。

 

店の主人が疲れ果てているようなネガティブな空気は必ず周りに伝わり、店全体の空気を重くしていく。

 

だから多くの仕事を一人が抱え込んでしまうようなことが続く時は、仕組みをもう一度見直して改善していく。

他の従業員や外注先に任せられる仕事は任せる。

そもそも任せられないような仕事が多いなら、根本的な仕事のやり方や仕組みを見直す。

 

そうやって少しずつ抱えていたものを手放していく。

 

 

今となっては異業種になるが、様々な職場を経験してこれたのは本当に勉強になった。

自分の身を置く環境によって正解や常識が変わることも、経営者としての在り方や仕事の仕方。

 

すべてが今の働き方に繋がっている。

 

働き方に正解も不正解もない。

働き方に常識も非常識もない。

 

あるのは自分にとっての正解か不正解かということだけ。

 

(ただ社会的な正解や常識とはうまく付き合っていく必要がある)

 

 

そうやって自分の価値観に基づいて創り上げた正解や常識が自分の生きた証となる。

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 転職を繰り返して分かったこと 

・ある場所では正解であっても、別の場所では不正解となる。自分の身を置く環境によって正解や常識は変わる。しかし、その社会的な正解や常識を鵜呑みにして、そのまま自分に当てはめてしまうと、やがて心の奥底が苦しくなってくる。だからそれぞれの常識や正解を受け入れつつ、自分にとっての正解を求めていく必要がある。

 

・経営者は自分が現場にいなくても現場がまわる仕組みを作ることも、現場に入ることを前提とした仕組みを作ることも出来る。自分が何をどれくらい求めているのかが分かれば経営方針も決まってくる。

 

・働き方に正解も不正解もなければ常識も非常識もない。あるのは自分にとっての正解か不正解かということだけ。社会的な正解や常識を受け入れつつ、自分の価値観に基づいて創り上げた正解や常識は自分の生きた証となる。

 

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