TIME IS LIFE

撮ること・書くこと・歩くこと

起業して6年間、生かされて分かったこと

あと2ヶ月で資金が底を尽きる。

 

起業したものの売上は思うように上がらないまま。

来月には子供が生まれる。

 

毎日が苦しい。

 

先のことなど考える余裕はなかった。

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2011年8月。

灼熱のアスファルトの上を駆け回るように、新規開拓へ奔走する日々が続いていた。

 

このまま売上を上げられなければ11月には自分で作った会社を潰すことになる。

 

タイムリミットは迫っていた。


起業して約3ヶ月。

思うようにはいかなかった。

 

当時勤めていた会社の残業地獄から抜け出したい一心で、ぼくは逃げだすように起業した。


売上が無くても会社の運転資金は毎月確実に減っていく。

 

ATMへ記帳に行くのが憂鬱だった。

「ジィジィー、ジィジィー」と通帳に刻まれる数字は確実にゼロに近づいていた。

 

あの頃のことは今思い返しても胸が苦しくなる。

 

生き抜く覚悟

2011年9月。

元気な女の子が生まれた。

 

妻に陣痛がきてから分娩室で我が子を抱き上げるまで付きっきりで出産に立ち会った。

そして、生まれたばかりの我が子を抱きながら思った。

 

(絶対に負けるわけにはいかない)

 

気がつけば心は感動と入り混じるように実生活へと向けられていた。

 

子供が生まれると分かっていながら、ぼくは会社を辞めて起業した。

そこに壮大なビジョンも社会に誇れるような志もない。

 

ただ会社勤めに対する不満から逃げ出すように起業した。

 

昔から「いつか起業したい」という夢はあったが、その「いつか」はいつかのまま。

計画的に起業準備を進めてきたわけではない。

 

自分の考えが甘かった。

 

だからここは腹をくくらなくてはいけない。

 

(来月までやってダメなら会社を清算しよう)

 

覚悟を決めた。

 

思えば最初からそのつもりだった。

会社の運転資金が尽きたらゲームオーバー。

作った会社は清算して就職しようと思っていた。

 

だからすべて想定内のこと・・・

 

想定内のことだけど悔しい。

 

悔しいけど・・・

就職することで家族の生活を守ることができるのなら。

 

起業家としての前にぼくは父親なのだ。

 

決断に迷いがなかったと言えば嘘になるが、子供が生まれたことで何かが吹っ切れたことは確かだった。

 

だからあと約2ヶ月。

やらないで後悔しそうなことは全部やってみようと思った。

それでダメなら就職する。

 

(就職して作戦を練り直して、またチャレンジすればいいのだ)

 

まだ自分のどこかに残っていた見栄や余計なプライドは我が子の誕生により消え去っていた。

 

周りから笑われたっていい。

 

馬鹿にされてもいい。

 

とにかく稼ぎたい。

 

それで家族の生活と自分の夢を守ることができるのなら・・・

 

生き抜く努力

そんなセピア色の創業期から6年という月日が流れていった。

今日も会社を続けられていることをときどき夢のように思う。

 

残業地獄から抜け出したくて始まった起業家人生。自分の考えの甘さから起業して半年後には廃業ギリギリまで追い込まれた。

 

しかし幸運にも今日まで生かされてきた。

 

起業当初はとにかくお金がなかった。運転資金は学生の頃から貯めてきた貯金だけ。限られた資金で会社を続けていくためには、お金のかからない体質を作る必要があった。

 

だから固定費の多くを占める事務所はできる限り安価にすませ社員も雇わないことにした。

 

お客さんを呼べるような立派な事務所は持てなかったので必然的に「待ちの営業」ではなく「出向く営業」をすることになった。

そして社員を雇う代わりに外注先をいくつか組み合わせることで社員の役割をアウトソーシングすることにした。

 

なんとか限られた資金で生き長らえるために考え工夫して、お客さんにとって価値がないと思われる支出は徹底的に削った。

 

しかし、社員の代わりに外注を頼んだとはいえ会社の顔となる営業は自分でやると決めていた。

当然、一人で営業回りできる数は限られる。だから地域もお客さんも絞るしかなかった。見込みが有りそうな営業先を集中的に回り、仕事の依頼があれば時間をかけて一人一人と向き合い、期待されている以上の仕事を届けていくように努力してきた。

この地域とお客さんを絞ったことが功を奏して、狭い特定の地域の中で少しずつクチコミが広まっていった。

 

人はひとりでは生きてはいけない

クチコミが広がり仕事の依頼が増えてきたことにより、起業して半年が経つ頃から少しずつ売り上げが上がるようになっていった。

 

種をまいてから芽が出るまでには時間が必要だったのだ。

 

どんな種でもまけば実るというものではないが、実るまで続けていなければ、その果実を得ることはできない。

 

あの創業期を持ちこたえられず会社を潰していたら・・・今はない。

 

予想もしなかったクチコミのおかげで 今も会社を続けることができている。

 

SNSの発達で人とのコミュニケーションですら効率化されていくような世の中。

仕事に関わらず、人と向き合いコミュニケーションを取ることの価値は必ず増していく。

 

便利になった部分の恩恵は受けながらも時間をかけて人と向き合い仕事をしてきた。

その一人一人に生かされて今日まで来れたことを起業して6年が経った今、噛みしめるように実感する。

 

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起業して6年間、生かされて分かったこと

・会社を清算する覚悟を決めた時、自分のどこかに残っていた見栄や余計なプライドが消えた。実際に周りから笑われたこともあったし馬鹿にされたこともあったけど、やらないで後悔しそうなことは全部やると決めて行動に移し続けた。結果として失敗したこともあったが、学ぶ姿勢から行動に移しているので全てが良い学びとなった。何よりも覚悟が決まったことで気持ちと行動がシンプルになった。

 

・起業当初はとにかくお金がなかった。運転資金は学生の頃から貯めてきた貯金だけだった。限られた資金で会社を続けていくためには、お金の掛からない体質を作る必要があった。だからあらゆることを考え工夫して、お客さんにとって価値がないと思われる支出は徹底的に削った。意味のない支出を抑えることで、まいた種が芽を出すまで生き長らえることができた。種をまいて芽が出るまでには時間が必要なのだ。

 

・便利になった部分の恩恵は受けながらも、地域とお客さんを絞り込み、一人一人と向き合って仕事をしてきた。その結果、狭い特定の地域でクチコミが広がり新たな仕事の依頼に繋がったことで今日まで生かされてきた。

SNSの発達で人とのコミュニケーションですら効率化されていくような世の中。

仕事に関わらず人と向き合いコミュニケーションを取ることの価値は必ず増していく。その向き合ってきた一人一人に生かされて今がある。

 

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