好きなことをして生きていくために

二児の父、起業してみて分かったこと

自己肯定感欠乏症の克服〜ひとり起業を始めて思うこと〜

満たされない。

 

その何かを埋めようとして

 

誰かと繋がる。

 

それでも満たされなくて

 

また誰かを探す。

 

自分を愛する心を

 

置き去りにしたまま・・・

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自分の存在はどこに

ぼくは以前、詩を書いていた。

もう2年程前のことだろうか。

心の中に引っかかる何かを外に出したくて気がついたら詩を書き始めていた。

 

そして、その詩をSNS上に投稿した。

 

それまでSNSをほとんどやっていなかった自分が突然、自作の詩を投稿し始めたのだ。

ぼくとFBで友達になっている人はさぞ驚いたことだろう。

 

初めて投稿する時は、自分の書いた詩を誰かに見られることが怖くて怖くて堪らなかった。

でも、この心のモヤモヤを自分の中だけに留めておくことができず投稿せずにはいられなかった。

 

詩にのせた思いや考えを誰かに見てもらうことで、自分のことを皆に知ってもらえるような気がした。

自分の考えの良し悪しや正しさを主張したいのではなく、ただ自分はこんなふうに考えているってことを皆に知って欲しかった。

 

その自分の思いを最大限に込められる表現として、当時は詩を書いていたのだ。

 

見えない距離

最初は怖かった。

怖くて恥ずかしくて何度もやめようと思った。

 

投稿するまで「ああでもない、こうでもない」と悩み、1時間以上も投稿ボタンを押せずに携帯を握りウジウジと悩み続けていたこともある。

だけど段々と悩み考えているのも疲れ、エイヤッと投稿してしまうのである。

 

いいね!がいくつ付くとか。

コメントがいくつ付くとか。

そんなことは気にしない!

 

・・・って自分に言い聞かせていてもやっぱり気になるもので、投稿した直後は「早く、早くいいね!付けぇ〜」って汗ばむ手の中で携帯を握りしめていた。

 

そんなことを何度も繰り返していると「1つもいいねが付かないことはない」という変な自信みたいなものが出てきた。

それに加え、有り難いことにコメントまで残してくれる方もいる。

 

たった1度しか会ったことがなくても何度も何度もコメントを残してくれる人がいる。その言葉の中には愛や思いやりや誠実さ、その人の温度が込められていた。

 

ぼくは何度もその言葉に救われ、今も前に進み続けることができている。

人と人との間にある本当の距離は、過ごした時間の長さや顔を合わせる頻度だけで測ることはできないのだ。

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勇気を持って踏み出した先に

ぼくは勇気を持って発信した。

それは初めて踏み出す時はとても恐ろしいことであったが、慣れればそうでもなかった。

 

そう、慣れれば慣れてしまうのだ。

自分の考えていることや思っていることを発信するのが普通になる。

 

そうやって思えるようになったのは「自分が思っているほど他人は自分のことを気にしていない」ということに気づくことができたからであった。

ちょっと彼は変なことをやり始めたなぁ〜と誰かが思っても、その人にとって害が無く、不快感も無ければ瞬く間に記憶の彼方へと消え去ってしまうことがほとんどだろう。

 

そして恐る恐るではあるが、自分の考えや思いを言葉にするようになってから驚くほど出会う人たちが変わった。それは自分の考えや思いを分かち合える人が増えたということである。

 

大人になってから、こんなに何もかもを話せる友人ができるとは思わなかった。

その友人ひとりひとりとの出会いが今のぼくを生かしてくれている。

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大人の友だち

いつも人目を気にして生きてきた。

いつも誰かに媚びて、いつも自分に自信がなかった。

 

だから上っ面の話ばかり重ねてきた。

いま思えば自分の人生の半分は自分ではない誰かを演じて生きていた。

 

だから苦しかった。

 

苦しかったけど仲間はずれにされるよりマシだと思って・・・

・・・そう生きてきた。

 

だけど、もう叫ばずにはいられなかった。

「自分はこんな人間だぁ!!!」と 叫ばずにはいられなかった。

 

だから詩を書くことで叫んだ。

めちゃめちゃ怖かったけど勇気を持って、自分の表現できるいっぱいいっぱいを使って叫んだ。

 

バカにされるんじゃないかとか。

友だちがいなくなるんじゃないかとか。

周りから変に思われるんじゃないかとか。

 

めちゃめちゃ不安だったけど、それを繰り返して、繰り返して、それが平常心になった先で待っていたのは、心からすべてを語らえる仲間たちだった。

 

ぼくはぼくという存在を皆に受け入れてもらい、自分の存在を肯定してもらうことで、自己肯定感欠乏症を克服できたのだと思う。

 

自分一人の存在だけで自分を肯定することは難しかった。

人はひとりでは生きてはいけないのだ。

 

自己肯定感欠乏症の克服

自己肯定感を自分一人で高めるのは難しい。

これは自分の実体験から今のところそういう結論に至っている。

 

今後、それがどう変わるのか変わらないかのかは分からない。

まあ変わってもいいし変わらなくてもいい。

 

ただ、ぼくは人は一人で生きていくのではなく、お互い人の手を借り助け合って生きていけばいいと思うのである。

 

それは苦しいと思った時に誰かに相談することであったり。

悲しいと感じた時に誰かに話を聞いてもらうことであったり。

誰かが悲しんでいたら一緒に時を過ごしてあげることであったり。

誰かが苦しんでいたら何か手を差し伸べてあげることであったり。

 

なんだかんだお互い様なことである。

 

そんなお互い様な関係になれる友人の存在は、人生を何倍も楽しく豊かなものにしてくれる。

自分が自分を偽らず、本当の自分を見せた時、その本当の自分を好いてくれる人が必ず現れる。

本当の自分で接することができる友人と過ごす時間は格別に楽しく豊かである。

 

逆に偽り演じた自分が誰かと繋がったところで、それは偽りの関係にしかならない。

そんな関係は疲れるし楽しくもなく豊かでもない。

 

自己肯定感欠乏症の克服には豊かな人間関係が欠かせない。

その豊かな人間関係は、誰かに媚びる必要も、無理やり好かれようと努力する必要もない。

 

自分の思いや考えを誰かに伝えること。

表面的な話ではなく本質的な話をしていくこと。

 

その偽らざる本当の自分を生きるということが、本当に豊かで幸せな人間関係をもたらしてくれる。

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 ここで学んだこと

 ・はじめの一歩を踏み出すことは恐ろしく思える時もあるが、慣れればそうでもない。そう思えるようになったのは「自分が思っているほど他人は自分のことを気にしていない」ということに気づくことができたからであった。

 

・ 自分の存在を皆に受け入れてもらい、肯定してもらうことで、自己肯定感欠乏症を克服することができた。

 

・自己肯定感欠乏症の克服には豊かな人間関係が欠かせない。その豊かな人間関係は、誰かに媚びる必要も、無理やり好かれようと努力する必要もない。偽らざる本当の自分を生きるということが、本当に豊かで幸せな人間関係をもたらしてくれる。

 

毎週水曜よる9時更新