2013年11月。
都内ターミナル駅徒歩1分の好立地。駅は目の前。路面店の空き情報が入ってきた。
それは良く知る立地。良く知る仲間からの紹介だった。
これまで路面店を出す事など考えもしなかったが、あまりの好条件に飛びつくように現地へ向かった。
立地も人通りも申し分ない。ここなら集客には困らない。
今年で会社も3年目。業績も上向き安定してきた。
これは一気に飛躍するチャンスなのではないか。
僕は悩んだ。
店舗を構え、社員を雇い、都内ターミナル駅目の前に高らかに看板を掲げる。
会社員時代、近くで勤務経験も有り勝手は分かる。
うちのような小さな会社が商売をするには絶好の立地。
家賃も手頃。
条件は揃っている。
しかし、いざ「やるか・やらないか」という選択を迫られると何かが心に痞え即答は出来なかった。
ここで商売をすることが、本当に自分の進みたい道なのか。
立地も良く、家賃も手頃、勝手知ったる場所で同様の経験もある。
商売としては上手くいきそうなのだが・・・
店舗を構え、社員を雇い、高らかに看板を掲げてしまったら、もう簡単には後戻り出来ない気がした。
その気持ちが自分にとって、どこから来る気持ちなのか。
失敗を恐れる恐怖心なのか。
また創業期のような苦しい日々を繰り返すことへの嫌悪感なのか。
起業して3期目。この現状への満足感なのか。
これまで思ったことは積極的にチャレンジしてきたつもりだった。
だから、このチャンスを見送ることがネガティブな現状維持に思え、自分自身を停滞させていく気がした。
このチャンスに乗ろうとしない心のざわつきの正体は一体何なのか。
一人静かに考えた。
そして数日間、悩み考えた末、路面店の話しは見送る事にした。
起業して3年目。
あれは今考えても大きなターニングポイントだった。
確かに路面店で商売をしたい人にとっては最高の立地だったと思う。
しかし、あのまま外的なチャンスに流され、店舗を構え、社員を雇い、看板を高らかに掲げてしまっていたら・・・と思うと本当にゾッとする。
僕は他者からの眼差しや世間体などを気にするあまり、自分が本来は求めていなかったチャンスに突き進もうとしていた。
多くの人がチャンスだ。というものを目の前にして「やるか・やらないか」を本気で考えた時。
自分はどう生きたいのか。
ビジネスに何を求めているのか。
つまり自分の軸は何なのかを徹底的に考えることとなった。
ターミナル駅に店舗を構え、不特定多数の人を相手に商売をすることが本当に自分の幸せに繋がるのか。
自分は何のために起業したのか。
愛する人と自由な人生を過ごすためだったのではないだろうか。
大切な人と過ごす自由な時間、好きなことをする自由な時間、心からの自由を求めて起業したのではなかったのだろうか。
もちろん事業を継続するためには、それに必要なお金を稼がなくてはいけない。
しかし、その必要なお金を稼ぐために、自分はどれだけ命を削らなくてはならないのだろう。
ちょっと大袈裟なようだけど、何かに時間を使うということは、その何かに命を捧げるということ。
できれば、大切な人と過ごす時間と好きなことをする時間で、自分の人生は埋め尽くしていきたい。
だからそれを実践するために今、ビジネスをしている。
ビジネスに求めるものは1つだけ。
生産性を高めることである。
つまり短い時間で大きな成果を上げるということ。
とってもドライに表現してしまうと本当にそれだけなのだ。
ただドライ過ぎる表現で誤解を招かないように念のために付け加えると・・・
短い時間で大きな成果を得るためには、顧客のニーズを的確に把握して適切なサービスを提供していかなくてはならない。
顧客が何を求めているのかを知らなければ、あれやこれやと顧客にとって価値のないサービスを提供してしまうことになりかねない。
それではサービスを受けた顧客もサービスを提供した事業者も、お互い生産性の低い時間を過ごすことになってしまう。
顧客にとってみれば貴重な時間を使い、何度も何度も的外れなサービスを提供されたのでは堪ったものではない。
事業者にとっても、その的外れなサービスで一時的に報酬を得られたとしても生産性が低い仕事をしていることに変わりない。
何故ならば、生産性の低い仕事を続け、提供したサービスによって顧客からの信頼を得られなければ、リピートには繋がらず、また広告宣伝費をかけて新規顧客を集めることの繰り返しになるからである。
そんな仕事を繰り返していては、とても生産性の向上は望めない。
だから生産性を高め顧客と価値ある時間を共有するために、顧客が何を求めているのかを的確に知り、適切なサービスを提供する。
それが顧客にも事業者にも生産性の高い、価値ある時間となる。
だから顧客にとって価値のないことは徹底的に削り落とす。
そう考えると、店舗を構え、社員を雇い、高らかに看板を掲げることは、顧客にとってあまり価値の無いことに思えた。
そもそもそれに費やす労力や資金、そのリターンを考えれば、路面店を出すなんて自分にはあり得ない選択肢だったのだ。
しかし、いざ皆がチャンスと呼ぶものが、目の前を通り過ぎると平常心ではいられなかった。
ターミナル駅の目の前に店舗を構えたらスゴイ。と思われそうだとか。
社員が増え会社が上手くいっている。と思われたいとか。
僕はそんな自己顕示的な欲求に溺れ、外的なチャンスに流されようとしていた。
今思い返すと本当に恥ずかしい話である。
誰かにとってはチャンスでも、それが自分にとってのチャンスだとは限らない。
周囲は善意でチャンスを運んできてくれることもある。
しかし、それが自分にとって本当にチャンスなのか、判断基準は自分の軸だけなのだ。
命を削ってまでやることはそう多くない。
1年後に自分が死ぬとしたら
今日から何に時間を捧げて生きるのだろうか。
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