これで良かったのだろうか。
自分の歩んできた道は・・・・
出口の見えないトンネルの中
孤独と向き合う日々はつづく。
好きになれない人
2014年4月。
起業した会社もなんとか軌道に乗りはじめ、念願だった自由な時間を少しずつ確保出来るようになってきた。
起業して3年間。
がむしゃらに仕事だけをやってきた。
仕事に打ち込み、お金の不安から逃れることで、何か今はまだ見えないものが見えるようになるのではないかと漠然と考えていた。確かにお金に対する不安は和らぎ創業期のように、明日のお金に困ることや月末の支払いに困るようなことはなくなった。
しかし、何か見える世界が変わったのかと言われれば、ぼくの見える世界は何も変わることはなかった。
がむしゃらに仕事に打ち込み、やっとの思いで自由な時間を持てるようになった時に、そこにあったのは言いようもない虚しさと孤独感だった。
時間は自由になった。
しかし、あれほど求めていた自由な時間で自分が何をしたいのか全くわからなかった。
(仕事漬けの毎日が自分の心を曇らせてしまったのか・・・)
ぼくは心にできた隙間を埋めようと、これまでは顔を出さなかった同業者間の飲み会に行ってみたり、旧友に会ってみたり、セミナーに参加してみたりもしたが、何をしても心の隙間が埋まることはなかった。
(自分の歩んできた道はこれで良かったのだろうか)
(自分は何をしたいのだろうか)
自由な時間を作ることだけを考え、起業してこれまでやってきたけれど、そんな自分にどこか罪悪感もあった。
同世代の起業家に会うたびに感じる高い志や将来へのビジョンが自分には無い。
ぼくは自分の自由な時間を作るために仕事をしている。
自分のことしか考えていないような気がして・・・
そんな自分を好きになれなかった。
好きになれない自分をなんとか好きになろうと、自分も高い志や社会的なビジョンを掲げているようにふるまい、誰かと群れるように過ごしていても自分が虚しくなるだけだった。
そんな自分をどうしても好きになることが出来なかった。
友の言葉
当時は自分の心の内を話せる仲間もいなかった。
何かの飲み会に行っても、旧友と会っても、誰に会っても話すことが出来ない。
そんな自分にとっての友人は「本」だけだった。
本の中にいる著者だけが自分にとって心の友であるような気がした。
ひとりカフェにこもり、心の友と対話をしている時間だけが、出口の見えないトンネルの中で前に進むための希望の道しるべであった。
「自分のステージが変わる時には、付き合う友人も変わっていく」
「新しいステージでは、新しい友人が待っている」
異なる著者たちの重なる言葉。
自分のことを好きになれず、心の内を話せる仲間もいない。
本当にそんな未来が訪れるのかも半信半疑であったが、どうしようもない虚しさと孤独感に包まれていたぼくにとっては救いの言葉だった。
それでも好きになれなくて
孤独と不安でいっぱいだった日々、ひとりでいるよりは気が紛れると思い、人と群れるように関わっていたこともある。
しかし、群れるように関わってしまった相手とは、心の内も話せない表面的な関係を作ってしまった。
当時はまだ自分のことを認めたり信じてあげることができなかった。
自分で自分のことを受け入れられなければ、本当の意味で誰かに心をひらくことは出来ない。
自分が心をひらくことが出来なければ、相手も自分に心をひらいてはくれない。
うまく話せなくてもいい。
ドキドキしててもいい。
目を見つめられなくてもいい。
テンションを上げなくてもいい。
うまくいかない自分もいいじゃない。
ありのままの自分に共感してくれる人は必ずいる。
だから先ずは、ありのままの自分を受け入れてみる。
そのために孤独と向き合い、自分と対話をする時間が必要だったのだ。
孤独の意味
あの不安と孤独感に包まれた日々から3年が過ぎようとしている。
多くの著者の言葉に励まされ、自分の在り方を見つめ直し、受け入れて今日までやってきた。
うまく話すこともできない、ただ話しを聞くことしかできない。
そんな自分を受け入れはじめた自分を、受け入れてくれる人はみんな暖かかった。
大好きな友と語りあった帰りみち。
いつもあの言葉を思い出す。
「自分のステージが変わる時には、付き合う友人も変わっていく」
「新しいステージでは、新しい友人が待っている」
今なら少しわかるような気がする。
このステージとは社会的な地位や名誉ということではない。
お金を持っているか持っていないかということでもない。
「心の在り方」ではないだろうか。
自分の「心の在り方」が変わり、世界を見る視点が変われば、当然これまでとは見える世界は異なり、あたらしい人生がはじまり付き合う友人も変わってくる。
世界は自分の見る視点によって、見え方が違い、見える世界は異なるようだ。
その見る視点を変えるのが「心の在り方」なのだ。
3年前、いつも不安と孤独でいっぱいだった。
そんな不安と孤独に包まれた日々の中で光を見い出すことは難しい、ということをぼくは知っている。
しかし、その不安も孤独も自分の外にあるものではなく、自分の中にあるものだとして、認め受け入れていくことによって少しずつ自分の内面に変化があらわれる。
その変化を受け入れていくために、自分と向き合う孤独な時間が必要なのだ。
だから孤独を恐れる必要はない。
孤独は自分を知るために必要不可欠な時間なのだから。
孤独を受け入れてわかったこと
・ありのままの自分を受け入れてみる
自分で自分のことを受け入れられなければ、本当の意味で誰かに心をひらくことは出来ない。自分が心をひらくことが出来なければ、相手も自分に心をひらいてはくれない。
・「心の在り方」で見える世界は変わる
自分の「心の在り方」が変わり、世界を見る視点が変われば、当然これまでとは見える世界は異なり、あたらしい人生がはじまり付き合う友人も変わってくる。
世界は自分の見る視点によって、見え方が違い、見える世界は異なるようだ。
その見る視点を変えるのが「心の在り方」なのだ。
・孤独は自分を知るために必要不可欠な時間
不安も孤独も自分の外にあるものではなく、自分の中にあるものだとして認め受け入れていくことによって少しずつ自分の内面に変化があらわれる。
その変化を受け入れていくために、自分と向き合う孤独な時間が必要なのだ。
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