当時24歳。
もう10年も前のこと。
あの頃、路上で学んだことは今も深く胸に刻み込まれている。
新たなる挑戦
2007年9月。
小さなダイニングバーに勤めることになった。
それまでの5年間、中華一筋でやってきた飲食経験の中で初めてのことだった。
独立志向の強かったぼくは、仕入れからメニューの作成、調理、店の運営など全てを任せてもらえる職場で独立に向けての経験を積みたかった。
働きはじめて1ヶ月も経つと店の雰囲気やお客さんの入りがどんな感じなのかも分かってくる。駅から5分ほどの距離にある飲食街、路地裏を曲がったビルの2階にあるこの店は、ランチはそこそこお客さんも入ってくれるのだがディナーはさっぱりだった。
新しいメニューを考えたり、看板のキャッチコピーを変えてみたり、近隣にポスティングをしてみたり色々したけれど・・・どれも反応は薄かった。オーナーとも話し合いなんとか集客をしたいと考え、毎週金曜日のディナータイムにバンドをやっている友人に頼みジャズの生演奏をしてもらうことにした。
このディナーライブがきっかけとなり、後に営業の道に進むことになるとは、この時まったく想像もできなかった。
なぜなら当時ぼくは自己肯定感が低く、人の目ばかり気にしてしまい自分に自信を持つことができない・・・いわゆる人見知りだったのだ。
小さな成功
そして迎えたディナーライブ初日。
ホームページに告知を出した程度で特別な集客は一切やらなかった。
初めての試みでどうなるか分からない部分も多かったので、小さくはじめて色々と実験していこうと思っていた。
ライブ開始まであと3時間、店先の看板に「ディナーライブやります」という告知はしたものの、今のところそれを見て2階の店まで上がってきてくれるお客さんはいない。
ただ時間だけが過ぎていく・・・
ライブ開始まであと2時間。
こんな日に限って1組の予約もない。
もしかして誰も来ないのではないかと嫌な予感が頭をかすめる。
(このままでは友人に合わせる顔がない)
ライブをお願いした友人のことを思うと、ただ厨房でお客さんを待っていることは出来なかった。ぼくは店の外へ出てチラシを配り始めた。
この店に来て何度かやったことはあったが、当時は人に話しかけることも苦手で、自分は料理人だというプライドもあった。美味しい料理を作ることで人に認められ、接客をしないで済む厨房は、ぼくにとってこの上ない安全地帯。だから外に出て街行く見知らぬ人に話しかけるなど、ただの恐怖でしかなかった。
しかし、今はそんなこと言っていられない。
この誰もいない店で友人に歌わせるわけにはいかない。
ライブ開始まであと2時間、1組でもお客さんを呼びたい。
しかし、チラシを配り始めて数分、ただ闇雲に配るだけでは効率が悪そうだった。そこで飲食街でお店を探していそうな人を見つけて直接声を掛ける作戦に出た。
「お、おお、お店、お探しでしょうか?」
緊張で鼻息も荒く必死の笑顔でニヤリと話しかけるぼくの顔は引きつっていたことだろう。十数組に声を掛けてみるも素通りされてしまうか丁寧にお断りをされてしまうかだった。
(このままではダメだ)
(なんとかしなくては・・・)
焦る気持ちを抑えて必死に考えた。
(どうすればお客さんを呼べるのか)
その時、さっき声を掛けそびれた人達がまだお店を探しているようだった。
ぼくは急いで駆け寄り、そっと近づき話しかけた。
ぼく「お、おお、お店お探しですか?」
お客さん「えっ、あ、そうなんですよ。中華食べられる所探してて・・・」
ぼく「ちゅ、ちゅ、中華も。ウチ、ウチやってます」
お客さん「えっ、本当に!じゃあ行きます」
(え、えっ、やった!やったーー!!)
ぼく「で、でで、ではご案内いたします」
ほんの小さな成功だった。
人見知りで自己肯定感も低かったぼくにとって、街行く見知らぬ人に話しけ、自分の店まで来てもらうなどありえないことだった。
自分には無理だ、できない、と思っていたことができてしまった。
多くの人にとっては何でもないようなことでも、自分にとっては大きな成長だった。
再考し行動する
その後、厨房に戻りオーダーを全て作り終えると、さっき来てくれたお客さんに挨拶をした後ぼくはまた外に出て次のお客さんを探し始めた。
さっきの小さな成功が大きな自信となり、外へ向かう足取りも軽かった。
ライブまで時間はなかったが、ぼくは足を止め飲食街を歩く人々の動きを観察するようにした。
(ただ闇雲に声を掛けてもダメだ)
暫く観察していると、さっきのお客さんのように飲食街を何度もぐるぐると回っている人達がいることに気づいた。
(どこの店に入るか悩んでいるんだな)
その人達が足を止めた瞬間、そっと近づき輪の中に入るようにさりげなく話しかける。
「こ、ここ、こんばんは。おみ、お店はお決まりですか?」
さりげなさを意識しても、まだ緊張して言葉がうまく出ない。
だけど皆どの店に入ろうか考え中でとくに気にしていないようだった。
そして、そのお客さんも店に連れてくることができた。
さっきより少しスマートに案内できた気がした。
そんな自分にしか分からない小さな成長が嬉しかった。
その後、店にお客さんが入っているのを見て、後からどんどんお客さんが入ってきた。
厨房は久々に忙しくなった。
外に出て自分で連れてきたお客さんに料理を振る舞う。
言葉を交わしリアルに顔が見えるお客さんに作る料理はいつも以上に気合いが入った。
「すんごいお客さん入ってるね」
声の方を振り向くと厨房の隅に友人が立っていた。
いつの間にか時刻は20時を過ぎていた。
友人たちバンドメンバーが到着した頃には満席になっていたのだろう。
本当に良かった・・・
さっきまで誰もいなかった店が、人で溢れ活気に満ちている。
もしかしたらぼくが外に出て営業をしなくても、お客さんは来てくれたのかもしれない。ただこの店に来てから今日が最も活気に満ち溢れた夜だった。
営業の原点
その後も厨房での仕込みを終わらせると、昼夜を問わず店の外へ営業に出るという事を1年以上続けた。店舗リニューアルのために料理人として招かれたぼくは、路上で営業マンとしての第一歩を踏み出すこととなった。
飲食街を歩く人をよく観察して、どの店に入るか悩み困っている人達を見つけては声を掛け、さりげなく会話に加わる。
そして先ずはお客さんの話をとことん聞く。
真剣に話を聞いているうちに、だんだん仲良くなれるものでお客さんの方から質問をされる。
「おたくはどんな店なの?」
そこで初めて自分の店のことを話し始める。
前もってお客さんの話を聞いているので、今何を食べたいのかも知っている。
そのお客さんが今食べたいものを写真付きのメニューを見せながら一押しで勧める。
このやり方は驚くほど成功率が高かった。
確かに自分がお客さんの立場として考えてみれば当たり前の話なのだ。
これから自分で店を選ぼうとしている時に、道路脇から呼び込まれ勧誘されても、とりあえず断っておこうとなる。まだこれからどこか良いところが見つかるかもしれない。
今はまだ決めたくないのだ。
しかし飲食街を歩きつくし、ピンッとくる店もなくどこにしようか途方に暮れている時に、さりげなく「どこか良いお店ありましたか?」などと話しかけられたら「いや〜どこにしようか迷ってて・・・」と、さっきは素通りしていた自分も相談したくなる。
よく見て、よく聞き、思いやり、心ある関係を築く。
これが路上で学んだぼくの営業の原点である。
路上で学んだ大切なこと
誰かに届けたいものがある。
自分が良いと思っているものは、つい強く勧めたくなる。
しかし、相手が今何を考えていて、それを受け取る準備が出来ているのかも分からずに、自分のタイミングばかりで事を進めていては、本来受け取ってくれるはずの相手に、自分の思いを届けることはできない。
自分に何が出来るのかを知った上で、先ずは相手をよく知ること。
真剣に話しを聞いているうちに相手との距離は縮まってくる。
十分距離が縮まり相手が自分に心を開いてくれてから本当の関係は始まる。
どんなビジネスをしていても人との関わりを避けては通れない。
自分のことを知って欲しければ、先ずは相手のことをよく知ること。
その姿勢が相手の心を開きビジネスの成功だけでなく、心ある人間関係を築くことにも繋がっていく。
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