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妻子あるぼくが会社を辞めてわかった3つのこと

2017年2月20日配信。

WEBマガジン「ORDINARY」掲載記事より(一部抜粋)。

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TOOLS 93 起業すれば自由になれるのか? 妻子あるぼくが会社を辞めてわかった3つのこと / 若杉アキラ | ORDINARY(オーディナリー)

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2011年2月。


(今日もまだ帰らないのか… )


時刻は22時。


連日連夜、「上司が帰らないから帰れない」という名のサービス残業が続く。これまでとは会社の方針が変わり、終わりの見えないサービス残業が暗黙の了解で課せられるようになった。


22時を過ぎてもまったく帰るそぶりを見せない上司を横目に帰宅するのも気が引ける。


(でも… ああぁ… 帰りたい)


(帰りたい…… 帰りたい….. )

 

ぼくはその約2年前、飲食業界から不動産業界に転職した。固定給もそこそこ、歩合給もあり、しかも定時に退社することもできるという条件は、飲食業界で朝早くから終電間際まで働いていた自分にとっては夢のような世界であった。


25歳から心機一転、入社後は右も左も分からない不動産の世界で、営業マンとしてがむしゃらに働いた。成績が上がれば、認められ、歩合給も増え、生活が潤う。だから会社で働くことが楽しかったし、何も不満はなかった。
 


1. 自分の引き受ける不可抗力
しかし、状況は変わっていく。社内制度が大幅に変わり、歩合給が減らされ、終わりの見えないサービス残業が半強制的に課せられるようになった。会社の業績が下がっているのなら話はわかるが、売上も業績も上がっている。特別大きな支出があったわけでもない。


正直、会社のやり方に腹も立ち不満もあったが、こちらは雇われる身。仕方がないとわりきり働き続けることにした。


(こちらが社会に順応し、大人になりさえすればいいんだ… )


そうすることで、なんとなく無難で、安定してそうで、大きな失敗はなさそうだと思ったから。


なにより今年は子供が生まれる。

これから父親になり、家族も増える。


このまま勤めておいた方が、なんとなく無難であることは分かっていた。


しかし、仕事で成果を上げ早々と帰宅できた社員たちからすると、仕事の成果とは関係なく、会社の方針転換で課せられた「終わりの見えないサービス残業」はストレスでしかない。


社内の空気は次第に悪くなっていった。


帰宅時間は日に日に遅くなり、「上司が帰るまで帰れない」という空気が社内全体を覆いつくし、ぼくたち社員は疲弊していった。


頑張れば、頑張るほど豊かになれると思っていた。頑張って成果を上げれば、それは必ず自分に返ってくると信じていた。


しかし、それが叶わない場所もある、ということをこの時に痛感した。


頑張る対象や場所を間違えると、その成果は報われない。


ぼくたち社員は会社の作ったルールの下で働き報酬を得る。どの会社に属するかは自分で選ぶことは出来るが、会社の方針を変えることは難しい。会社組織に属する以上、会社の方針は自分では制御不能な不可抗力と考え、受け入れるしかない。


それが嫌なら会社を辞めるか、会社の方針を変えさせるくらいの強い発言力を持つ自分になるしかないのだ。組織に属する以上、そこで自分の引き受ける不可抗力を知り、それでも自分の身を投じるに値する何かが見出せるのか。一度立ち止まって考えてみる価値はありそうだ。


しかし、ぼくは立ち止まることなく突き進んでいくことになる。
 


2. 自由への対価
その後も帰れない日々は続き、不満は頂点に達していた。


今すぐにでも辞表を叩きつけ帰ってやりたい気持ちをグッと堪え、ぼくはこの状況を脱する作戦を考え始めた。


連日連夜、ネット検索に明け暮れる日々。何かヒントはないのかと探しキーボードを叩きまくった。そんな時「独立起業」というキーワードでいくつかのサイトがヒットした。今すぐにでもこの状況を抜け出したかったぼくは、翌日その掲載元の行政書士事務所を訪ねた。


会社で鬱憤の溜まっていたぼくと会社設立を生業とする行政書士との話は大いに盛り上がり、その場で会社を作ることが決まった。


トントン拍子で話しは進み、2ヶ月後には会社を辞め、3ヶ月後には法人を設立して起業家人生がスタートした。


それは今思い返しても、苦痛から逃れるための逃避行的なスタートであった。ぼくの起業は、現状への不満、怒り、危機感が爆発して思い立つように始まった。


昔から


「好きなことをして生きていきたい」

「いつかは起業したい」


と思ってはいたが、その「いつか」はいつかのまま。特に計画を立て進めてきたわけではない。


起業当初、新規開拓の日々、売上も上がらず、不安で不安で毎日胃が張り裂けそうだった。会社組織という存在から逃れ、自由を求めての起業であったが、実態はまったく自由ではなかった。会社を辞め、正社員として保証されていた固定給も休日も失い、独立したぼくは社会で生き残るため、休みもなくがむしゃらに働いた。


(これから生まれてくる我が子に惨めな思いをさせたくない… )


(自分のワガママを受け入れ応援してくれた妻を悲しませたくない… )


だから今やっている仕事が好きとか嫌いとか考える間もなく、家族を守り、生きるために必死で働いた。


言葉では知っていた「自由には責任が伴う」ということを痛感した。


会社員時代、歩合給が減ったとか、定時に帰れないとか、グチグチ言っていた自分が懐かしい。会社を辞め、会社を作って痛感した。会社員時代、自分はどれだけ会社に守られていたのか、ということを。


会社員だった頃、生きるために必死で働く、ということはなかった。会社員だった頃、生きるために必要なお金は労働時間と引き換えに会社から支給されることが約束されていた。会社員だった頃「生きる」ということは会社からの固定給と休日という形で守られていた。


しかし、それは独立した途端にゼロとなる。


会社組織という制約から逃れ、会社から決められた労働時間も社内規定もない。その自由と引き換えに、これまで自分や家族を守ってくれた固定給も休日もない。これからは自分も家族も、会社の助けなく、自分の力で守っていかなくてはならないのだ。


それが自由を求める者の責任だった。


「もう会社は自分たちを守ってはくれないのだ」


そんな当たり前のことを、当たり前に過ごしていた会社員を離れて痛感した。
 


3.身の自由と心の自由
会社員だった頃、起業しなければ自由は手に入らないと思っていた。そして自由の先に、好きなことがあると考えていた。


でも、会社を飛び出し起業したものの、ぼくはまったく自由ではなかった。そしてなにより、生きるためにがむしゃらに働く日々の中で、自分の好きなことが何なのかも、まったく見いだせなかった。


会社を辞めて6年が経ち、いま思う。


自分が何を大切にし、何をしたいのかを知らなければ、起業したとしても心からの自由を手にすることはできない。


それは例え事業が上手くいき大金を手にしたとしても。

あり余る時間を手に入れ、その身が自由になったとしても。

心が満たされ自由になることはない。


会社を辞めてわかった。


会社員でも起業家でも、自由を手にすることも、好きなことをすることもできる。


異なるのは、背負う責任の範囲と自由度の社会的限界値なのだ。


起業して責任をすべて自分で負えば、確かに自由度は高くなる。しかし、今は多様な働き方が認められ、少しずつ自分のスタイルや個々人が求める自由度に応じて働ける会社も増えてきている。だから、「自由に働きたい、好きなことを仕事にしたい」と思う人がいるのなら、自分のスタイルで働ける会社を見つけ、転職するという選択も視野に入れて欲しい。


その「自由であること、好きなこと」が出来る環境を経験して、それでも起業したいと思うのなら、ぼくは起業を勧める。


「自分は何を大切にし、何をしたいのか? 」


その問いを持ち続け、自由への責任を果たし、大切な人たちと共に、好きなことをして暮らしていこう。

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会社を辞めて分かった3つのこと
1. 頑張る対象や場所を間違えると、その成果は報われない
会社組織に属する以上、そこで自分の引き受ける不可抗力を知り、それでも自分の身を投じるに値する何かが見出せるのか。一度立ち止まり考えてみる価値はある。


2. 自由には責任が伴う
会社を辞めると、決められた労働時間も社内規定もない。その自由と引き換えに、会社員として保証されていた固定給も休日もない。会社を辞めるということは、自分も家族も会社の助けなく、自分の力で守っていかなくてはならない。それが自由を求める者の責任なのだ。


3. 「自分が何を大切にし、何をしたいのか」を知らなければ、起業したとしても心からの自由を手にすることはできない
会社員でも起業家でも、個々人の求める自由度に応じて、自由を手にすることも、好きなことをすることも出来る。自分は何を大切にし、何をしたいのか? その問いを持ち続け、立ち止まり、答え続けていくことが、自由への確かな一歩となる。

 

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