最近ちょっとのんびり過ごしている。
何か目標を決めてそこまでガーッと走り続けたら、そのあとは少しのんびりになる。
前はそんな燃え尽き症候群みたいな自分が嫌だったのだけれど、今はそれが自分のバイオリズムだと受け入れ楽しんでいる。
だから12月は家族と公園に行ったり、友人と食事をしたり、ひとりで少し遠くまで散歩をしてみたり。ただそこにいるだけで、自分にとって豊かさを感じられる時間を大切に過ごしている。
なぜなら自分にとって身近で、日常的で、ありふれている暮らしの中にこそ、本当の豊かさが秘められていると思うからである。
永遠じゃないこの時を
明日は晴れそうだからピクニックに行こう。
我が家の予定はだいたいそんな感じで決まっていく。
天気と気分を最優先に前日か2・3日前に決めることが多い。
しかし、先月の企画展が終わるまでの約3ヶ月間、写真展の準備と企画展全体の準備、それに加え日々の仕事も慌ただしく、なかなか家族と過ごす時間を持つことができなかった。
ぼく自身、家にいる時間は多いがずっと自分の部屋にこもり何かしらの作業をしている状態で、長女からは「パパはご飯を食べる時かサッカーを観る時しか部屋から出て来ないね」と言われ、ひとつ屋根の下で暮らしていても、ただ物理的に側にいるだけではやがて心が離れてしまうのではないか・・・そんなことを思うと寂しさや切なさに加え、父親としても夫としても危機迫るものも感じずにはいられなかった。
だから企画展が終わったいまは家族とゆっくり過ごす時間を大切にしている。また次の個展準備が始まればきっと部屋にこもってしまうと思うから。せめてそれまではのんびり公園に行ったり散歩をしたり、何か特別なことをするわけではないけれど、ただ一緒に遊んだり話したり、そんな時間を家族4人で過ごしている。
本当に幸せな時間。
そんな時間を過ごしていると、ふと頭に浮かんでくることがある。
もしかしたら、いなくなってしまうかもしれない。
ぼくは良くも悪くも何かが永遠に続くとは思えない人間で、いつもいつか終わりがある、ということを心のどこかで思っている。そんな危機感というか寂しさというか、儚さをぼくは自分のなかに持っている。
ただそうやって終わりを意識するからこそ、「今この瞬間」を深く大切に味わうことができるのだと思う。
だから自分にとって大切な人や大切なことを大切に、自分の持てる時間はただそのためだけに使って生きたい。いつもそんな思いを行動に変え、日々丁寧に暮らしていこうと思っている。
さあ、未来を奏でよう
先日おもしろい体験をした。
企画展の打ち上げをした時のこと。
これまで打ち上げといえば、そのイベントの反省やそこであった出来事の共有など、主に過去のことを振り返り今後それをどう活かしていきましょうか、ということが話のタネになるものだと思っていた(真面目な話しという意味では、笑)。
もちろんイベントは終わり過去となり、何かを作るためにする未来の話から、それを終えて出来事を振り返る過去の話しになるのは、とても自然なことだと分かってもいるし理解もしている。
だけど、これまで未来のことをワクワク話していた仲間と過去の話ばかりになってしまうのは少し寂しい思いもある。もちろん同じ体験をした仲間と過去の話に花を咲かす時間は楽しい。
だからこそ楽しい体験をまた一緒にできたらと思う。そんな思いから話の矛先が過去ばかりに向いてしまうと、もう一緒に未来を見れなくなってしまいそうでなんだか寂しくなる。
この打ち上げに向かう前にも・・・
そんな思いが頭の片隅にはあった。
しかし、そんな不安は圧倒的に払拭された。
もちろん過去の反省はするのだけれど、話が未来ありきだからおもしろい!
反省のための反省をするのではなくて、「自分たちはこんなことをやりたい」という未来を創造して、必要に応じて過去の出来事を振り返り反省していく。
いま思えば子供の頃、友人とはワクワクする遊びの話しかしなかった。
あした基地を作りに行こう。
あしたクワガタを採りに行こう。
あしたチャリで何処までいけるかやってみよう。
そんな「あしたの約束」はどれも「未来への約束」であった。
それが大人になるにつれ過去の話ばかりになってしまうのは寂しかった。
個人的には大人になってからというもの一人遊びが多くなり、起業して事業を始めたり、iPhone写真で個展をやってみたりと、どれも自分ひとりで始められることばかりになっていた。
ひとりはひとりで気楽で楽しいのだが、ひとりでは味わうことができない喜びがあるということも知っている。
仲間と協力して1つの作品を作ることは、ひとりでは決して見ることができない世界をぼくに見せてくれる。そんな作り手としての感動を共有できる瞬間は最高に嬉しい。
そうやって1つのバンドみたいに、それぞれがそれぞれの楽器を持ち寄り、1つの音楽を奏で、心どこまでも響かせていきたいと思うのである。
自分にとっての豊かさとは?
今日は青空が見れそうだ。
早朝、日の出を待ちながら今日は何をしようか決めていく。
数年前のぼくはスケジュール帳をいっぱいにして、自由に使えるはずの時間もお金に換金することばかり考えていた。その自由と引き換えに得たお金があればぼくは豊かになれると思っていた。
しかし、経済的には良くなっても精神的にはボロボロであった。
なぜなら、ぼくはいつまでもお金のために働くことを止められなかったのだ。短期的にはお金にフォーカスして働くことで、お金を得ることはできるかもしれないが、中長期的にはお金がモチベーションの働き方は長続きしないということを痛感した。
衣食住に困らないためにお金は必要なものだけれど、そのことばかりに時間と気力を取られ過ぎてしまうと、お金があっても豊かに生きることはできない。
そのことを踏まえ、この数年ぼくは自分の身を解放する仕事の仕組み作りに取り組んできた。数年かけて地道にコツコツやってきて少しずつだけど確実に、自分の自由に使える時間は増え、この身が解放されていくような感覚を持っている。
だから日の出を待ち、好きな空が見れそうな時は少し遠くまで散歩に出かける。
もちろんその日に予定があれば遠出はできないが、基本は天気を見ながら前日か前々日に予定を入れるようにしているので、かなり高い確率で好きな時にどこにでも行くことができる。
ぼくにとってこの好きなときに好きなことができるという自由は、心から豊かさを感じられる瞬間の1つなのだ。
そして、そんな自由奔放な自分をいつもあたたかく迎え支えてくれる家族と「これをやろう、あれをやろう」と未来の話に花を咲かせ、互いに行動し合える仲間に恵まれていることも、自分にとって心から豊かさを感じられる1つの源泉なのである。
豊かさについて考えてみた
【豊かさの源泉】
自分にとって身近で、日常的で、ありふれている暮らしの中にこそ、本当の豊かさがある。
【豊かさへの罠】
衣食住に困らないためにお金は必要なものだけれど、そのことばかりに時間と気力を取られ過ぎてしまうと、お金があっても豊かに生きることはできない。
【ぼくにとっての豊かさ】
・好きなときに好きなことができるという自由(時間・健康)
・大切な人を大切に、大切な人から大切にされているという感覚(愛ある人間関係)
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