TIME IS LIFE

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早送り人生の弊害

時間のムダを捨て、「効率よくやろう」「早くやろう」とする人ほど陥ってしまう罠があります。

それは常にアクセル全開で「最短最速」ばかりを追い求め、その反動で自分の大切な時間まで失ってしまうという恐ろしい罠です。

f:id:akira-wakasugi:20181205151052j:image巻き戻せない時間

2011年のこと、起業後わずか半年で廃業ギリギリまで追い込まれたぼくは、まさにその恐ろしい罠に陥ってしまいました。当時は働く時間を確保するため友人とも会う時間を減らし、仕事で関わる人たちともプライベートな関わりを持つことはほとんどありませんでした。

 

だからといって家に早く帰るわけでもなく、終電ギリギリまで事務所にこもっては仕事ばかりで、生まれたばかりの長女の面倒も妻に任せっきり。家のことを全て妻に押し付けてしまっているような罪悪感を持ちながらも「早く会社を成功させるため」と自分に言い聞かせ突っ走っていました。

 

しかし、起業して3年ほど経ったある日のこと。妻に娘を公園に連れて行ってあげてほしいと頼まれ、初めて娘と二人きりで公園に出かけました。娘は公園に着くと駆けまわり、ママとあれをしたこれをしたと楽しそうに教えてくれます。

 

ただそのとき娘が話してくれた思い出の中に「パパの存在」はありませんでした。これまで仕事漬けの毎日で家に帰って見るのは娘の寝顔ばかり、娘にとってはパパとの思い出がないのも当然です。

 

帰宅して妻に今日あったことを話すと、娘の友達は休日にパパと二人で出掛けることも多いという。そんな話を聞いた娘が「パパと二人でお出掛けがしたい」ということになったようです。しかし、普段から「パパがお仕事をがんばってくれているからママたちはご飯が食べられるんだよ」と妻に言われている娘は、いつも仕事ばかりしているぼくに「公園に行きたい」とは言えなかったのです。

f:id:akira-wakasugi:20181205151821j:image自分の最適なペースを知る

ぼくは何もわかっていませんでした。妻の気持ちも、娘の気持ちも。起業してがむしゃらに成功を目指し、働きつづけたことで、経済的には家族の暮らしを守ることができたかもしれません。しかし、会社の成長ばかりを追い求め、家庭を顧みず働きつづけてきたことで、家族には寂しい思いをさせていました。

 

目標を定め、「効率よくやろう」「早くやろう」とすることは生産性を上げるためには大切なことです。しかし、そればかりでは自分にとって大切な時間まで見失ってしまうのです。強調したいのは「最短最速」を求めることが悪いということではなく、それだけに偏りつづけると「大切な時間まで失ってしまう」ということです。

 

そうならないためにも「自分にとって最適なペース」を知ることが必要なのです。

 

自分にとって最適なペースとは、のんびり生活やスローライフとは違います。もちろん、のんびりしたければのんびりすれば良いし、スローに生きたければスローに生きても良い。逆にアクセル全開で「最短最速」を求める時期があっても良い。大切なことは、いつでもどこでも自分の意思で「歩いたり、走ったり、立ち止まったり」できることです。

 

インド独立の父として知られるマハトマ・ガンディーも『速度を上げるばかりが、人生ではない』という言葉を残しています。自分にとって最適なペースで生きる人は「最短最速」にこだわりません。アクセル全開で追い越し車線を猛スピードで駆け抜けるよりも、目の前に広がる景色を楽しみながら自分にとって最適なペースで進むことに、価値を感じているのですから。

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