好きなことをして生きていくために

二児の父、起業してみて分かったこと

自分基準で生きる~ネガティブな存在の断ち切り方~

自己中心的に生きることと

 

自分基準で生きることは

 

似て非なるものである。

 

自分基準で生きるとは

 

自分の価値基準を持つことであり

 

身勝手な振る舞いや

 

他者をないがしろにして

 

自己中心的に生きるということではない。

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ネガティブな存在

朝の満員電車、意味の無い会議、作業に集中している時にかかってくる電話、何かと先輩風を吹かせてくる上司、特に親しくもない人からの会いませんかという誘い・・・

 

何かと時間を取られたり、モヤモヤと考えてしまい、自分にとってはポジティブに捉えきれない存在がある。

すべての出来事に良いも悪いもなく、それをどう捉えるかは個人の捉え方次第なのだ・・・と思ってはいるものの、全てを心からポジティブに捉えられる程ぼくは出来た人間ではない。

 

だからポジティブに捉えきれない出来事は、諦めて断ち切る方向で考えるようにしている。

ただ、それすらもポジティブに捉えることができれば、心の整理整頓で解決できない問題を、行動によって解決するための術を学ぶ機会を得たということになる。

 

そう考えてみると多くのネガティブだと感じる出来事の中にも、生きる知恵として学びの要素がたくさん散りばめられているのだ。

 

選択肢は自分にある

朝の満員電車や意味の無い会議。

それにいくら文句を言っても現状は変わらない。

 

不快感を断ち切るためには具体的な行動が欠かせないのだ。

 

ちょっと余談になるが、ぼくの人生は満員電車の中に沢山の思い出が詰まっている。

実は18歳で上京したての頃、寒がりのぼくは満員電車のギュウギュウ詰めの状態が暖かくて結構好きだったのだ。

(やがて夏になり、汗ばんだ他人の肌と触れ合うことで一気に不快感の対象となったが・・・)

 

社会人1年目、飲食店で朝から晩まで猛烈に働いていた頃、通勤の満員電車に揺られながら様々な本を読み漁り、自らの人生を切り拓く勇気をもらい、それから転職に踏み切ることができた。

 

不動産業に転職してからは、宅建の資格を取るために1年半もの間、問題集を解きながら満員電車に揺られ通勤する日々を過ごしてきた。

会社に着くまでにここまではやりたい、そんな小さな目標を定め日々少しずつ進んできたことを今はとても懐かしく思う。

 

確かに満員電車は不快な対象ではあるが、その限られた時間を有効活用することで、これまでタダの不快な時間であった満員電車を学びの時間に変えることも出来るのだ。

 

そして本当に心底不快であるならば、満員電車に乗らなければいいのだ。

満員電車に乗らないためには、朝早めに起きて電車が混まない時間に出勤すればいい。

そして会社に早めに行き仕事を片付けるのもいいし、近くのカフェで読書をするのもいい。

 

ぼく自身、会社員時代は早めに会社に行って仕事を片付けるか読書をしていた。

そしてたまに会社の近くのカフェに行き読書をするのも気持ちの良い時間であった。

 

ただそれを毎日していたわけではない。

結局、早起きする辛さが満員電車に乗る辛さを上回ることが多く、満員電車に乗る朝の方が多かったのだ。

 

だから満員電車に乗る日々を断ち切ることも出来るという選択肢を持ちながら、満員電車との良い付き合い方を考えた結果、タイムリミットのある学びの時間となったわけである。

満員電車に揺られながら「まだ降りたくない」と思っていた自分は、一般的にはネガティブな出来事を自分なりにポジティブに捉えていたようである。

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心を手放さない技術

意味の無い会議、作業に集中している時にかかってくる電話。

どちらも自分にとっては時間や集中力を奪うネガティブな存在である。

 

会社員時代、意味の無い会議が本当に嫌いだった。

不動産の営業職で歩合給が付く会社に勤めていたこともあり、ぼくは会社員時代から自らを個人事業主だと考えていた。

その個人事業主として考えられる営業職を皆集めて行われる会議の議題は、会議が始まってから決めるという、会議のための会議が上司の主導で行われていた。

 

ぼく自身、会議のやり方に口を出した時期もあったが「君は業界歴が浅いから」という理由で流され、会議のやり方を変えることはできなかった。

いや、正確に言えば、会議のやり方を変えるために自分の労力をこれ以上使いたくなかったのだ。だからそれ以上口を出すことはやめた。

つまり、このとき既に勤めていた会社に思い入れや会社愛はなかったのである。

 

だから会議の時間は自分で一人会議をすることにしていた。

一人会議といっても会議の場にはしっかりと出席をする。

社員である以上、会社の方針通り動くのは一つの義務だと思っている。

 

ただ、会議の場に出席はするが、自分の心は絶対に渡さない。

目の前には会議の資料と自身の手帳と筆記用具のみ。

 

その会議の資料に目線を落としながら、自分の今気になっていることを手帳に書き出し、対策を考えていく。そうすれば意味の無い会議の時間も自分の時間として有効に使うことができる。

 

会社は社員の身を拘束することはで出来ても、心や思考まで拘束することはできないのだ。

 

そして会議中たまにされる質問には「もう少し自分なりに整理して考えたいと思います」と嫌みのない真顔で答えることにより、その殆どをかわすことができた。

 

その回答はぼくにとって電話で流す自動音声のようなものであった。

 

そう、電話といえば、集中している時にかかってくる電話が本当に嫌いだった。

しかし、考えてみれば電話に出なければいいだけのことだったのだ。

 

集中している時間は無理に電話に出なくても。

忙しい時間帯に無理して電話に出なくても。

駅のホームで無理に電話を受けなくても。

 

自分が電話をする時間帯を決め、その時間内でコールバックしたり、かかってくる電話に応対すればいいのだ。

なんとなく「かかってきた電話にはでなくては・・・」という心理が働き、仕事が電話に振り回されることが多かった。

しかし自分が電話の応対をする時間を決めたことにより、仕事がスムーズになっただけでなく精神的にとても解放されたのだ。

 

かかってきた電話に出るということは何となく当たり前になっていたが、しっかりと自分基準を定めたことによりネガティブな存在が一つ消えていった。

 

付かず離れず少しずつ離れていく

何かと先輩風を吹かせてくる上司、特に親しくもない人からの会いませんかという誘い・・・

自分的には関わりたくはないけれど、その関わりをすぐに解消することが出来ない関係というものは誰にでもあるだろう。

 

それは憂鬱で苦しくてジワジワと心の中を蝕んでくる。

 

だからネガティブな感情を抱く人間関係に関わらずに済む方法があれば、今すぐに全部出来なくても少しずつ関わらないように距離を置くことを勧めたい。

 

そして、ここで重要なことは「争いを起こさないようにする」ということである。

 

ただ、争いを起こしてでも白黒ハッキリさせたい、という人もいるだろう。

なにより、ぼく自身が昔は頭に血が上りやすく白黒ハッキリさせたい人間であったのだから。

 

しかし、白黒ハッキリさせようとして争いごとになると、例え自分が争いで勝ったとしても、負けた方には何らかの因縁が残り、不要な恨みを買うことにもなりかねない。

 

なぜなら自分にとっての正義は、相手にとって悪ではなく、相手にとっても正義であるのだから。

 

正義の味方が悪に負けたら、必ず誰かが敵討ちに行くだろう。

相手にとっての悪である自分が争いで勝ったら、正義を盾にした相手が姿を変え敵討ちに来ても何ら不思議ではないのだ。

 

だからぼくは争いごとを好まない。

だけどネガティブな存在からは距離を置きたい。

 

この事に関しては、ぼくもまだ実験中で効果的な解決策を提示できるわけではない。

ただ、ネガティブな存在を空気のように何事もなかった存在へ戻していくためには・・・

 

相手に引いてもらうことであると思う。

 

自分は関わりたくもないし争いごとを起こしたくもないので、出来る限り引いているところへ、相手がズカズカと入ってくるから不快なわけであって、相手が引いてくれたら自分はそれでOKなのである。

 

だから相手が引くような立ち居振る舞いをしていくことが、争いを起こさずネガティブな存在を遠ざける在り方なのかもしれない。

 

そういった他者の存在も踏まえ、自分基準で生きるということは、誰かをないがしろにしたり、身勝手な振る舞いをする自己中心的な生き方ではなく、自分の価値基準を大切に守る勇気と供にある生き方なのだ。

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ここで学んだこと

・何かを変えるには具体的な行動が欠かせない。どうしてもネガティブに捉えがちな出来事であっても、ポジティブに捉えれば心の整理整頓で解決できない問題を、行動によって解決するための術を学ぶ機会を得たということになる。

 

・外部の力により、この身を拘束することは出来ても、心や思考までを拘束することはできない。だから自分の思い通りにならない時間でも、自分の自由に捉え考えることはできるのだ。

 

・自分にとっての正義は、相手にとって悪ではなく、相手にとっても正義であるのだ。だから争いごとでどちらが勝ったとしても、負けた方は正義を盾に敵討ちをすることが正義にもなる。よって争いごとで物事を解決するのは労多くして功少なしと思える。

 

 

毎週水曜よる9時更新

 

 

パトロンを引き受けて分かったこと

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 「普段は何をやってるのですか?」

 

最近いろいろな人に聞かれるようになった。

 

・・・

 

「パトロンですよ」

 

ぼくがそう答えると多くの人は目を丸くする。

(ただ、そう言って怒られそうな場面では決して言わない)

 

そして、ほとんどの人が・・・

「ここは触れてはいけないところだな」ということを察して別の話題に移してくれる。

 

だけど時々深く突っ込んでくる人もいる。

だから時々聞かれれば話すけど聞かれなければ話さないことを話すこともある。

 

それは日々のこと・・・

 

書くこと、撮ること、稼ぐこと。

 

書くことは・・・

こうやってブログを書いたり寄稿させてもらえる媒体に自分の考えや思いを綴ること。

 

撮ることは・・・

生きること、ぼくにとって写真を撮ることは生きること。それは自分の心が動いた瞬間の記録を付けるということ。

 

稼ぐことは・・・

生かすこと、お金を稼ぐことは自分を生かすということ。その生かされた時間を使い、ぼくは自分の人生を生きている。

 

「書くこと」と「撮ること」は自分を表現するということ。

その表現する自分の存在を助けるために「稼ぐこと」が必要になってくる。

 

なぜならば、生きていくためのお金が足りなくなってしまうと、自分を表現している場合ではなくなってしまうから・・・

つまり生きるためのお金が足りなくなってしまうと、本来は自分の好きに使えていた時間さえも、生きるためにお金を稼ぐ時間に使わざるを得なくなってしまうのだ。

 

だから自分の好きな活動や表現を続けていくためにも、お金のことはしっかりと考えていかなくてはならない。 f:id:akira-wakasugi:20170809095540j:image

 ぼくが不動産屋になった理由 

むかし勤めていた飲食店の話し。

そこの大家さんは懐石料理屋の店主であった。

 

その大家さんは、ぼくの勤めていた店が入るビルの他にもマンションや駐車場を持っていて、なんだかいつもゆるりとした空気を感じる人であった。

 

その大家さんはよくうちの店にもご飯を食べに来てくれた。

そこで見る大家さんとしての顔、そして懐石料理屋の店主としての顔。

この2つの顔を持つ大家さんを間近で見ていてぼくは思った。

 

「わかった!大家さんをやりながら、好きなことをやればいいんだ」

 

当時24歳、調理師として毎日朝から晩まで働き続けていた自分にとって、この先の働き方を変える大きな転機であった。

 

それから本やセミナーで、大家さんになるためにはどうすればいいのか、ということを学ぶ日々が始まった。

そして調理師を続けながら1年ほど不動産の勉強した後に不動産業界へ転職した。

 

転職理由は単純だった。

不動産にハマってしまったのだ。

 

不動産の勉強をしているうちに料理よりも面白くなったしまった。

もちろん6年間続けたきた料理の世界を離れることには抵抗もあった。

しかし、もしもまた料理の世界へ戻りたくなったら戻ればいいという思いもあった。

 

自分の信じる道に進み、違うと思ったらいつでも引き返せばいいのだ。

 

ただその時が来るまで、やれるだけやってみようと思い、自分の心に従い転職をしたのだった。

 

起業してしまったという誤算

ぼくは大家さんになりたかった。

不動産を買って人に貸出して家賃収入を得る。

仕組みがとてもシンンプルで、これなら自分にもできそうだと思ったのだ。

 

だから不動産業界へ転職して賃貸経営のイロハを覚え、サラリーマンとして数年間の社会的実績を作り銀行融資を引いて賃貸経営を始めようと思っていた。

しかし、その数年越しの計画も自分が起業したことにより全てが水の泡となってしまった。

 

なぜなら賃貸経営を始めてから起業したのではなく、1つも不動産を持たないまま不動産仲介業で起業してしまったのだ。だから、せっかく会社員として数年間積んだ社会的な実績も起業して極小会社の代表となったことで全てが消えてしまった。

 

起業初期「1つでも2つでも不動産を買ってから起業すればよかった」と何度も思った。

例え毎月数万円であっても、固定収入があるというのは心の安定に繋がる。

 

ただ、何も後ろ盾がないという背水の陣に追い込まれたからこそ、がむしゃらに働き、不動産仲介業で成果を上げることが出来たのだと思っている。

 

それはとても苦しい道程ではあったが、どの道に進もうとも全ては自分次第で、多くの人が不正解と言うような道でも、自分なりに正解へと変えていくことが出来るということを学んだ。

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誤算を強みに変えて  

不動産仲介業で起業したのは誤算だった。

ぼくは仲介業ではなく、賃貸業(大家さん)で独立したかったのだ。

 

しかし、 その起業してしまった仲介業をやってきたことが賃貸業(大家さん)を拡大していく上で大きなアドバンテージとなった。

 

現在、ぼくは法人で幾つかの金融機関から融資を受けて不動産を購入している。

法人が新規で融資を受ける際には、必ず法人の事業内容のチェックをされる。

つまり「この会社は何屋なのか?」ということを確認されるのだ。

 

餅は餅屋という言葉もあるように、どの会社にも専門分野があり、一般的にはそれが会社の強みとして見られる。そして金融機関にとっては「その強みを活かせているか」ということも重要なチェック項目となる。

 

つまり「本業で稼げていますか?」ということを厳しくチェックされるのだ。

 

単に預貯金が沢山あったり、差し出せる担保があるかどうかということだけが銀行融資を受けるための強みではない。

当たり前のことだが本業でしっかり収益を上げている、というのは大きな強みとなるのだ。

 

こういった金融機関の零細企業に対しての融資姿勢は、自社の所在地を営業エリアとする地方銀行、第二地方銀行、信用金庫すべてに問い合わせ、十数行の金融機関と付き合いを重ねていく中で体感したことである。

 

結果として、ぼくの会社は仲介業を主軸としてこれまで営業してきた。

だから例え賃貸業(大家さん)が上手くいかなくても、仲介業でその赤字を補填することが出来る。

そして自社で借り手を見つけることが出来るということも強みとして評価され、金融機関から融資を受けられる体制を構築することができたのだ。

 

 遠回りして今がある

ぼくは凄く遠回りをしてきた。

もっとも現金で不動産を買えば、誰でも直ぐに大家さんになることはできるが、本業で賃貸経営を行うなら現金だけで不動産を買い続けていくということは現実的ではない。

 

それはサラリーマンであっても同じである。

2・3年の勤続年数があれば銀行融資を引いて大家さんになることができる。

 

ぼくにも過去、サラリーマンとして融資を引ける状態はあったが、会社への不満を募らせたあげく脱サラの勢いで起業してしまった。

だから起業してから融資を引いて不動産を買えるようになるまでに3年以上もかかった。

それ以前にも金融機関へ融資の打診をしてはみたものの・・

銀行側の「決算書3期分ありますか?」という問いに「まだ2期分だけです」と答えるしかなく門前払い同然だった。

 

だから起業して3年間は仲介業者としてがむしゃらに働いた。

安定した固定収入もなかったので、まさに自転車操業の日々だった。

 

そして時が経ち、決算書3期分を揃えることが出来るようになってからは、仲介業の実績が評価され、ようやく融資を受けることが出来て今に繋がっている。

 

自分のパトロンを引き受ける

ぼくの心は乾ききっていた。

このお金を稼ぎ続けるだけの3年間は本当に辛かった。

 

ただ、お金を稼ぐこと以外に何か他のことを考えることもなかったし、それをしようとも思わなかった。だから何か表現をしようなどと思いつきもしなかったし、それを考える精神的な余裕も無かった。

 

家族の生活と会社を守るため、ぼくは自分の作ったブラック企業の中で働き続けるしかないと思い込んでいた。

ただ、会社を清算して転職するという選択肢も浮かんだが「やれるところまでやってみたい」という意地やプライドみたいなものがあって会社を潰すことはできなかった。

 

この経験からぼくは思う。

作家でも写真家でも音楽家でも継続的に何らかの表現活動をしようと思うのなら、必ず何かで「稼ぐこと」が重要となってくる。

 

その「稼ぐこと」とは大金を稼いでお金持ちになるという意味ではない。

自分や家族が慎ましい生活をしていくために必要なお金を「稼ぐこと」である。

 

ただ、その生活に必要なお金を稼ぐ時間は、なるべく短い方がいい。

 

例えお金を稼ぐために、朝から晩まで働く高給取りになったとしても、自分の自由に使える時間が少なければ、それはぼくにとっては望ましい状態とは言えない。

 

ぼくは自分の中に表現者としての自分と、パトロンとしての自分を抱えている。

その2人にどう有限なる時間を配分していくのか。

 

理想は表現者としての自分により多くの時間を与えること。

誤解を恐れずに言えば、お金を稼ぐことを念頭に置く仕事は、表現者としての自分を助けるパトロンとしての時間に過ぎないのだ。

 

ただ、パトロンとして唇を噛みしめた時間があるからこそ、心に抑揚が生まれ、表現者としての自分に良い影響をもたらしていることも確かである。

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ここで学んだこと

・生きるために必要なお金が不足すると、本来は自分の好きに使えていた時間さえも、生きるためにお金を稼ぐ時間に使わざるを得なくなってしまう。

 

・何も後ろ盾がないという背水の陣に追い込まれたからこそ、がむしゃらに働き本業で成果を上げることができた。それが会社の信用となり銀行融資を受けて賃貸経営を営める状態に繋がった。

 

・パトロンとして唇を噛みしめた時間があるからこそ、心に抑揚が生まれ、表現者としての自分にも良い影響をもたらしている。

 

毎週水曜よる9時更新

 

 

 

自己肯定感欠乏症の克服〜ひとり起業を始めて思うこと〜

満たされない。

 

その何かを埋めようとして

 

誰かと繋がる。

 

それでも満たされなくて

 

また誰かを探す。

 

自分を愛する心を

 

置き去りにしたまま・・・

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自分の存在はどこに

ぼくは以前、詩を書いていた。

もう2年程前のことだろうか。

心の中に引っかかる何かを外に出したくて気がついたら詩を書き始めていた。

 

そして、その詩をSNS上に投稿した。

 

それまでSNSをほとんどやっていなかった自分が突然、自作の詩を投稿し始めたのだ。

ぼくとFBで友達になっている人はさぞ驚いたことだろう。

 

初めて投稿する時は、自分の書いた詩を誰かに見られることが怖くて怖くて堪らなかった。

でも、この心のモヤモヤを自分の中だけに留めておくことができず投稿せずにはいられなかった。

 

詩にのせた思いや考えを誰かに見てもらうことで、自分のことを皆に知ってもらえるような気がした。

自分の考えの良し悪しや正しさを主張したいのではなく、ただ自分はこんなふうに考えているってことを皆に知って欲しかった。

 

その自分の思いを最大限に込められる表現として、当時は詩を書いていたのだ。

 

見えない距離

最初は怖かった。

怖くて恥ずかしくて何度もやめようと思った。

 

投稿するまで「ああでもない、こうでもない」と悩み、1時間以上も投稿ボタンを押せずに携帯を握りウジウジと悩み続けていたこともある。

だけど段々と悩み考えているのも疲れ、エイヤッと投稿してしまうのである。

 

いいね!がいくつ付くとか。

コメントがいくつ付くとか。

そんなことは気にしない!

 

・・・って自分に言い聞かせていてもやっぱり気になるもので、投稿した直後は「早く、早くいいね!付けぇ〜」って汗ばむ手の中で携帯を握りしめていた。

 

そんなことを何度も繰り返していると「1つもいいねが付かないことはない」という変な自信みたいなものが出てきた。

それに加え、有り難いことにコメントまで残してくれる方もいる。

 

たった1度しか会ったことがなくても何度も何度もコメントを残してくれる人がいる。その言葉の中には愛や思いやりや誠実さ、その人の温度が込められていた。

 

ぼくは何度もその言葉に救われ、今も前に進み続けることができている。

人と人との間にある本当の距離は、過ごした時間の長さや顔を合わせる頻度だけで測ることはできないのだ。

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勇気を持って踏み出した先に

ぼくは勇気を持って発信した。

それは初めて踏み出す時はとても恐ろしいことであったが、慣れればそうでもなかった。

 

そう、慣れれば慣れてしまうのだ。

自分の考えていることや思っていることを発信するのが普通になる。

 

そうやって思えるようになったのは「自分が思っているほど他人は自分のことを気にしていない」ということに気づくことができたからであった。

ちょっと彼は変なことをやり始めたなぁ〜と誰かが思っても、その人にとって害が無く、不快感も無ければ瞬く間に記憶の彼方へと消え去ってしまうことがほとんどだろう。

 

そして恐る恐るではあるが、自分の考えや思いを言葉にするようになってから驚くほど出会う人たちが変わった。それは自分の考えや思いを分かち合える人が増えたということである。

 

大人になってから、こんなに何もかもを話せる友人ができるとは思わなかった。

その友人ひとりひとりとの出会いが今のぼくを生かしてくれている。

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大人の友だち

いつも人目を気にして生きてきた。

いつも誰かに媚びて、いつも自分に自信がなかった。

 

だから上っ面の話ばかり重ねてきた。

いま思えば自分の人生の半分は自分ではない誰かを演じて生きていた。

 

だから苦しかった。

 

苦しかったけど仲間はずれにされるよりマシだと思って・・・

・・・そう生きてきた。

 

だけど、もう叫ばずにはいられなかった。

「自分はこんな人間だぁ!!!」と 叫ばずにはいられなかった。

 

だから詩を書くことで叫んだ。

めちゃめちゃ怖かったけど勇気を持って、自分の表現できるいっぱいいっぱいを使って叫んだ。

 

バカにされるんじゃないかとか。

友だちがいなくなるんじゃないかとか。

周りから変に思われるんじゃないかとか。

 

めちゃめちゃ不安だったけど、それを繰り返して、繰り返して、それが平常心になった先で待っていたのは、心からすべてを語らえる仲間たちだった。

 

ぼくはぼくという存在を皆に受け入れてもらい、自分の存在を肯定してもらうことで、自己肯定感欠乏症を克服できたのだと思う。

 

自分一人の存在だけで自分を肯定することは難しかった。

人はひとりでは生きてはいけないのだ。

 

自己肯定感欠乏症の克服

自己肯定感を自分一人で高めるのは難しい。

これは自分の実体験から今のところそういう結論に至っている。

 

今後、それがどう変わるのか変わらないかのかは分からない。

まあ変わってもいいし変わらなくてもいい。

 

ただ、ぼくは人は一人で生きていくのではなく、お互い人の手を借り助け合って生きていけばいいと思うのである。

 

それは苦しいと思った時に誰かに相談することであったり。

悲しいと感じた時に誰かに話を聞いてもらうことであったり。

誰かが悲しんでいたら一緒に時を過ごしてあげることであったり。

誰かが苦しんでいたら何か手を差し伸べてあげることであったり。

 

なんだかんだお互い様なことである。

 

そんなお互い様な関係になれる友人の存在は、人生を何倍も楽しく豊かなものにしてくれる。

自分が自分を偽らず、本当の自分を見せた時、その本当の自分を好いてくれる人が必ず現れる。

本当の自分で接することができる友人と過ごす時間は格別に楽しく豊かである。

 

逆に偽り演じた自分が誰かと繋がったところで、それは偽りの関係にしかならない。

そんな関係は疲れるし楽しくもなく豊かでもない。

 

自己肯定感欠乏症の克服には豊かな人間関係が欠かせない。

その豊かな人間関係は、誰かに媚びる必要も、無理やり好かれようと努力する必要もない。

 

自分の思いや考えを誰かに伝えること。

表面的な話ではなく本質的な話をしていくこと。

 

その偽らざる本当の自分を生きるということが、本当に豊かで幸せな人間関係をもたらしてくれる。

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 ここで学んだこと

 ・はじめの一歩を踏み出すことは恐ろしく思える時もあるが、慣れればそうでもない。そう思えるようになったのは「自分が思っているほど他人は自分のことを気にしていない」ということに気づくことができたからであった。

 

・ 自分の存在を皆に受け入れてもらい、肯定してもらうことで、自己肯定感欠乏症を克服することができた。

 

・自己肯定感欠乏症の克服には豊かな人間関係が欠かせない。その豊かな人間関係は、誰かに媚びる必要も、無理やり好かれようと努力する必要もない。偽らざる本当の自分を生きるということが、本当に豊かで幸せな人間関係をもたらしてくれる。

 

毎週水曜よる9時更新