先日、江ノ島での個展が終わった。
まだ余韻が残り、あの素晴らしい時間を思い返すと心が熱くなる。
今でこそ「iPhone写真家」などと名乗り、個展を開催したり、作品提供したり、自分の心が喜ぶ活動をすることができている。
しかし、つい2年ほど前までは自分の好きなことや趣味を聞かれても答えることができなかった。
それは恵まれた悩みなのかもしれない。
だけど・・・好きなことが分からないって結構つらい。
明日、生活に困るわけでもなく。
逃げ出したいほど嫌なことがあるわけでもない。
ただ何か満たされない。
そんな日々が2014年から2016年にかけて3年くらい続いた。
自由な時間を増やす
2011年に立ち上げた不動産会社は3年くらいがむしゃらに働き、なんとか軌道に乗せることができた。
不動産のことは好きだったが一生それだけをやっていく生き方は想像できなかった。
だから軌道に乗った事業を今後どうするか考えた時に、事業規模の拡大よりも自分の時間を増やすことに集中することにした。その時間を使い自分が本当にやりたいことは何なのかを知りたかった。
日々やらなければいけない事に追われる暮らしの中では、純粋に自分のやりたい事など見つけることはできないと思ったのだ。
だってお金が得られなければ不動産の仕事はやっていないと思うから…
だからお金が得られなくてもやりたいと思うことは何なのかを知りたかった。
それはきっと自分が本当にやりたいと思うこと。
純粋に好きなことなのではないだろうか。
それを知るためにお金の問題や日々やらなければいけない事から、できる限り解放される必要があると考え行動に移したのだ。
自由の陰
自分の自由に使える時間を増やすこと。
不動産事業に関して全ての判断基準はそれだった。
そうやって数年かけて少しずつ自分の自由に使える時間を増やしていった。
独立当初、ほとんど休みナシで働き続けてきた自分にとっては、仕事から離れのんびり過ごす時間が持てるのは夢のようだった。
しかし、それも自分にとっての必要量を超えると退屈に思え、時間はあるのに何をしたら良いのかも分からず、社会からポツンと取り残されたような気がした。
なんだか社会との繋がりが無くなっていくようで毎日が孤独で不安だった。
ただ自由な時間を持つだけでは心が満たされることは無いということを痛感した。
自己対話を繰り返す
自由な時間はできたが、自分がこれから何をしたいのか直ぐには分からなかった。
ただお金が得られるからという理由で何かを始めることはしないようにした。それは一見するとワクワクして楽しそうに見えるものもあったが、一人静かに自分と向き合うことで「そこに自分の好きなことの本質は無い」と気づき踏みとどまることが出来た。
その頃の自分にとって心から悩みを打ち明けられるのは本の中にいる著者だけだった。
本の中にいる著者へ心の内を一人話していく。
カフェにこもり本を読み漁り自己対話を繰り返していく日々。
本だけが唯一、心の内を話せる友達だったのだ。
心に触れるもの
カフェにこもり本ばかり読んでいるとはいえ、半日もカフェにこもっていれば飽きてくるし疲れてもくる。だから気分転換にカフェの行き帰りは近くの公園や河原を散歩することがお決まりのコースだった。
その時に見る何気ない風景が心を癒してくれた。
当初はぶらぶら歩いているだけだったが、いつしか持っていたiPhoneで写真を撮るようになっていた。
ぼくのインスタグラムを見てみると初めての投稿が2015年2月となっている。
このインスタグラムへの投稿がぼくの「iPhone写真家」としての始まりとなった。
写真を撮り始めてぼくの世界は変わった。
iPhoneを片手に街を歩くだけで自分の心にアンテナが立つ。
その心のアンテナに触れる一瞬をiPhoneで写真に収める。
そんな僅かなことで、いつもの見慣れた景色が、いつも違う景色だったことに気づき、毎日が愛おしく思えるようになっていった。
好きなことは直ぐそばに
こんな単純なことだったのか・・・
自分の好きなこと、本当にやりたいことは、どこか遠くにあると思い込んでいた。
だから本を読み見識を広げようともした。
今の自分の中に答えはないと思っていたから・・・
確かにそれは一度立ち止まり自分を見つめ直す大切な時間だった。
しかし、答えを外に求めようとする姿勢が自分を苦しめていたことに、写真を撮り始めてやっと気づくことができた。
答えは自分の中に・・・好きなことの本質は自分の中にあったのだ。
どこか遠くにあるわけでもないし、誰かが与えてくれるものでもない。
誰かと同じである必要もないし、自分以外の何者かになる必要もない。
この胸の中に眠っている少年の心を呼び覚ませばいい。
ぼくの場合は、iPhoneで写真を撮り始めたことで毎日が宝探しになった。
写真を撮ろうと意識することで心にアンテナが立ち、見える世界が一変した。
その心のアンテナに触れる一瞬を写真に収めるのが楽しくてたまらない。
それでやっと気づいた。
ぼくの好きなことの本質は「宝探し」だったのだ。
本質は変わらない
少年時代、虫採りや魚釣りが大好きだった。
夏になれば学校が始まる前でも早起きしてクワガタを探しに自転車を走らせた。
魚釣りに行く日は雨が降っていても平気だった。
雨でずぶ濡れになることよりも魚釣りに行きたくてたまらなかった。
いま思えばどちらもぼくの好きなことの本質「宝探し」だったのだ。
そして驚くことに既にぼくは自分の好きなことの本質を仕事にしていた。
それは小さな不動産を見つけるという「宝探し」だった。だから手間もかかり面倒な仕事を飽きずに6年以上もやり続けていられたのだ。その気持ちは今でも変わらず毎日新しい物件を探すことは楽しみの1つなのだ。
本質は少年の胸に
好きなことが見つからず悩んだ3年間は苦しかった。
苦しかったが、あの3年間があることで今の自分があることは間違いない。
独立して全力で駆け抜けた創業期から一度立ち止まり自分を見つめ直すことで、自分が本当は何を求めているのかを知ることができた。
あのまま全力疾走を続けていたら、事業規模こそ大きくなっていたかもしれないが自分の時間も家族と過ごす時間も無く、何のために事業をやっているのか分からなかった。
それはおそらく自分にとっては不幸であったと思う。
ぼくの場合はiPhoneで写真を撮り始めたことで世界を見る視点が変わり、自分の好きなことの本質は「宝探し」だと気づくことができた。
しかし、好きなことの本質は人それぞれ違う。
だからそれは自分自身で見つけ気づいていかなくてはならない。
ただ好きなことの本質を見つけるカギは純粋に好きなことをやっていた少年時代の遊びの中にあるのかもしれない。
幼い頃に夢中で遊んだことはなんだろうか。
時を忘れ日が暮れるまで熱中したことはなんだろうか。
きっとその中に自分の好きなことの本質は眠っている。
3年間、好きなことが見つからず悩み考え行動した7つのこと
1.日々やらなければいけない事に追われる暮らしの中では、純粋に自分のやりたい事など見つけることはできない。だから会社の事業規模拡大よりも自分の時間を増やすことを優先することにした。その時間を使い自分が本当にやりたいことは何なのかを知りたかった。
2.仕事から離れのんびり過ごす夢のような時間も、自分にとっての必要量を超えると退屈に思え、時間はあるのに何をしたら良いのか分からず、社会からポツンと取り残されたような気がした。ただ自由な時間を持つだけでは心が満たされることは無いということを痛感した。
3.お金が得られるからという理由で何かを始めることはしないようにした。その中には一見するとワクワクして楽しそうに見えるものもあったが、一人静かに自分と向き合うことで「そこに自分の好きなことの本質は無い」と気づき踏みとどまることが出来た。
4.写真を撮り始めて見える世界が変わった。iPhoneを片手に街を歩くだけで自分の心にアンテナが立つ。その心のアンテナに触れる一瞬をiPhoneで写真に収める。そんな僅かなことで、いつもの見慣れた景色が、いつも違う景色だったことに気づき、毎日が愛おしく思えるようになっていった。
5.好きなことの本質は自分の中にある。その胸の中に眠っている少年の心を呼び覚ませばいい。ぼくの場合はそれが「宝探し」だった。
6.独立して全力で駆け抜けた創業期から一度立ち止まり自分を見つめ直すことで、自分が本当は何を求めているのかを知ることができた。
7.好きなことの本質は人それぞれ違う。だからそれは自分自身で見つけ気づいていかなくてはならない。ただその好きなことの本質を見つけるカギは純粋に好きなことをやっていた少年時代の遊びの中にあるのかもしれない。
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