わたくし事ですが、昨日34歳の誕生日を迎えました。
朝起きてケータイを見ると「おめでとう」のメッセージが来ていて、それはお世話になっている方や大好きな友人、親族から届く愛の贈り物。
1通ずつ開いてみると、胸の奥へ響く贈り手の声。「おめでとう」という祝福の言葉に「ありがとう」という感謝の言葉で始まる新しい1年。
誕生日は自分にとって「ありがとうを伝える日」です。
ただ、大人になって味わい深くなった誕生日も、子供の頃は素直に喜べない自分がいたのです。そんな、誕生日の夜に思い出した、遠い記憶・・・
小1の時に妹が生まれ
始まったヤキモチと愛の喪失
ぼくには7歳と9歳、年の離れた妹がいる。
今でこそ3人で食事に行ったり、一緒に家族旅行を計画したり、しょっちゅう連絡を取り合う仲良しな兄妹であるが、子供の頃のぼくは妹たちにヤキモチばかり焼いていた。
ぼくが小1の時に上の妹が生まれ、下の妹は小3の時に生まれた。ぼくがいくらヤキモチ焼きだといっても、幼い妹たちを相手にケンカをするわけにもいかない。それどころかハイハイとヨチヨチでぼくの後をついてくる。歳の離れた兄妹というのは、なんとまあ可愛いものなのだ。
しかし、だからといってヤキモチを焼かないわけではない。
小1まで一人っ子として、育てられたぼくは大の甘えん坊だった。
幼稚園年長のお泊まり保育では、母と離れるのが嫌で人目をはばからず泣き叫び、小1まではモチロンお風呂も一緒だった。しっかり記憶のある年齢まで母にシャンプーをしてもらっていたのだ。いま思い返しても相当な甘えん坊である。
そんな大の甘えん坊だったぼくにとって、妹の誕生は両親の関心が自分以外に向いてしまったことを認識せざるを得なかった。今ならよ〜く分かるが、家族の生活リズムは赤ちゃんが中心となる。当然、母は生まれたばかりの妹に付きっきりになる。母がその他の家事をしている時は、父が妹の面倒をみている。
つまり今まで両親がぼくと遊んでくれていた時間は、妹の面倒をみる時間に変わってしまったのだ。当時7歳のぼくには妹のことを考える余裕もなく、ただ両親の関心が自分以外に向いてしまったことが寂しくてしかたなかったのだ。
子供の頃はヤキモチで
素直になれなかった誕生日
「あきらを甘やかさないでくれ」父が母に向けて言った。
ぼくが小1か年長くらいの時だった。
家族写真を見れば、父や母がぼくを可愛がってくれていたのは良く分かる。
ただ、そう分かってはいても 、それは現在進行形ではないような気がして・・・
そんな疑心暗鬼な自分にとって、父から母に向けられた言葉は衝撃だった。
(ぼくのことなんてどうだっていいんだ・・・)
まだ6歳か7歳だったぼくにはそう思えてしまったのだ。
父に遊んでほしいと言っても・・・
「外で遊んで来い」と言われ、母は妹に付きっきりで、もうぼくのことなんてどうでもいいんだ、と思った。
いま思えば、ほとんど一人っ子のように育てられ、甘えん坊だったぼくが自立するための愛のムチであった、とは思うのだが・・・当時のぼくにはそう考えることはできず、とても素直に受け入れることはできなかった。
そんな妹に付きっきりの両親だったが、ぼくの誕生日の時だけは、ぼくのことを見てくれているような気がして「たぶん、ぼくは嬉しかった」のだと思う。
その「たぶん」というのは、当時の嬉しかった、という感情を思い出すことができず、本当にそうであったのか自信を持って言うことができないからなのだ。そんな自分が子供の頃、誕生日で思い出すのは、ふてくされていた記憶ばかりである。
普段、妹ばかり構っている両親が、誕生日の時だけ、ぼくの方を見ているのが、うまく受け入れられなかったのだ。
それは照れくささなのか何なのか・・・
ただ1つ言えることは「誕生日は素直になれない日」ということだけは間違いなかった。
誕生日を祝う側をやってみて
祝福を受け入れることが贈り物になると知った
自分の誕生日を素直に受け入れられない。
そんな思いを心の奥底に抱えたまま、時は随分と過ぎていった。
ぼくは大学時代、上京して調理師の仕事をしながら学校に通っていた。大学には卒業に必要な単位を取りに行くだけといった感じで、ぼくの関心は料理人として一人前になることであった。だから職場にいる時間も長く、昼のパートさんから夜のバイトの面々まで、店のみんなと仲良くさせてもらっていた。
そんなある日、バイトの女の子の誕生日がもう直ぐだということを知った。彼女の出勤時間はちょうどランチタイムとディナータイムの間くらいで、パートさんの仕事を引き継いでディナータイムの準備をして、夜のバイトの面々にそれを引き継ぎ、ラストオーダーより少し早めに退社するというのがお決まりであった。
夜のバイトメンバーが誕生日の時は、仕事帰りにみんなでワイワイ飲みに行って、祝ったりもしていたけれど、彼女は早上がりだから、夜まで待っててもらうのも主役に失礼なような気がして、どうしたものかと皆で頭を悩ませていた。
そこで考えたのが・・・
その子が早く帰ってしまうなら、ぼくたちが早く行けばいい、という作戦である。
彼女が出勤してくる前に、みんなで店に集合して、パートさんも夜のバイトメンバーもみんなで彼女をお出迎えするというサプライズを企画した。
当日、そのサプライズは大成功した。
彼女はすごく驚いていたし、ニコニコと喜んでいたし、目をキラキラと輝かせていた。
それを見た、誕生日を祝う側メンバーの嬉しそうな顔も忘れられない。
大げさとかオーバーとかそういうのじゃなくて、本当に心から喜んでくれている、というのが皆に伝わって、それは温泉に浸かっているように暖かく穏やかでほっこりとする時間であった。
受け入れることで生まれる
「ありがとう」を循環させたい
誕生日をお祝いして「ありがとう」と言われる。
その主役の嬉しそうな顔を見て、さっき「おめでとう」といったぼくたちも「ありがとう」と言っている。
「おめでとう」という祝福から「ありがとう」という感謝に変わり、さらに「ありがとう」の言葉で喜びや幸せが循環していく。それは本当に幸せな世界であると思う。
そんな経験を何度かしているうちに、いつの間にかぼくの誕生日コンプレックスは消えていった。それは誕生日に限らず、祝福を受け入れることであったり、褒められることを受け入れることであったり、誰かが善意でくれたギフトを受け入れるということである。
それは自分が贈り手の立場になってみてよく分かった。
贈り手としたら受け手が喜んでくくればそれでいいのだ。
上手なコメントや大袈裟なリアクションなんて必要ない。
ただ一言、喜びや感謝の言葉を聞けた時に、気持ちを伝えて良かった、と心から思うのだ。だから受け手となる誕生日は思いっきり受け入れて、誠心誠意の思いで、喜びと感謝の気持ちを伝えたいと思う。
ぼくに関わってくれる、すべての人に伝えます。
いつもぼくのことを受け入れてくれて「ありがとう」ございます。
いただいたメッセージ、心から嬉しく思っています。まだまだかなりの未熟者ですが、一歩一歩、これからも自分という人間を極めて生きたいと思います。
皆さま、これからも 若杉アキラ をどうぞよろしくお願いいたします。
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