TIME IS LIFE

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「続いてる」「続いてない」の判定基準

続けたいのに、続けられない。

運動や勉強に早寝早起きなどの生活習慣「続けたいのに続けられない」という経験は誰にでもある。とか言ってる僕も、5年ほど前に始めた帰宅ランをここ1年くらいやってなかったり、週3日やろうと決めた筋トレは週1回になってたり、毎週書きたいと思ってたnoteの更新が止まってたりと・・・
「続けられなかった」と思うことは少なくない。

でも切り替えて、自分は続けることができない人間か、と自問自答。すると好きなことや興味関心のあること、身の危険や苦痛を回避するための行動は続けられてる。
「続けよう」と特別に意識しなくても、好きだからやっている。もしくは、やらないと苦しくなるからやっている行動は続いてる。

とはいえ続けるコツは、好きなことをやろう、逆境に身を置こう、などと言うつもりはない。それらは続けるコツなど不用で、あれこれ考えなくても続いてしまう対象だ。「続けたいのに続けられない」という物事は、好きという快楽、逃れたい苦痛のような感情の両極端にあるのではなく、その間にある無数の感情に関わる物事が対象で、意識的に「やった方が良さそうなこと」と言えるだろう。

やった方が良さそうなこと、習慣化したいことを続けるには、まず3週間だけ続けることを目標にするのが脳の特性に合っている、という話しを聞いたことがある。長く続けようという意識そのものが新しい習慣が身に付くことを阻んでいるという。

僕自身、この方法自体は上手くいった。まず3週間は気合いで続ける。するとその行動をとらないこと自体気持ち悪いという感情が芽生え、数ヶ月、数年続いた習慣もある。ただ何事にも完璧はなく、フェイドアウトしていった習慣や意地になって続けてた行動もあったりする。

自分にとって「続ける」とは何なのか?

自分を高めるため、プラスアルファの何らかの「やった方が良さそうなこと」であるなら尚更考えてみる価値はありそうだ。

一度決めたルールは永遠か?
それは毎日やらなきゃダメなのか?
途切れ途切れじゃ続いてますとは言えないか?

続けたいのに、続けられない。

そうやっていつまでも後ろ髪を引かれてる。いつまでも自分の中に消えることなく残っている物事なら、1年、2年やってなくても、自分にとっては「続いてる」と胸を張っていいのではないか。だってオリンピックもワールドカップも4年に1度で続いてる。

続けたいのに、続けられない。それは他人のペースや社会のペースを判定基準にしたとき聞こえる心の声。

週1だっていいじゃない。
月1、年1だっていいじゃない。
定期的じゃなくたっていいじゃない。

自分の中には確かにある、まだまだこれから、終わってない。そう思えてる間は、他人が何と言おうと「続いてる」と僕は思う。

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