TIME IS LIFE

撮ること・書くこと・歩くこと

あるはずの思い出たち、失って気づいた大切なこと

目の前にある喜びを

 

後回しにして生きてきた。

 

いま我慢することで目標への到達を早め

 

目標の達成が全てを解決してくれる・・・

 

そう願い、信じていた。

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働くために消えた自由

目標へ一直線に突き進むことができる。

それは自分の長所なのかもしれない。

 

しかし、何かに集中するということは、何かに集中できないということ。

ぼくは目標に向け一直線に突き進むということで、それ以外のどこかに歪みが生じるという自覚が足りなかった。

 
「自分の時間を取り戻し、家族との時間も充実させたい」

 

そう、頭では思っていても行動には繋げられない自分がいた。
 

家族との時間を充実させるためにも、土台となる暮らしを守らなくてはいけない。

土台となる暮らしを守るためには、会社を守らなくてはいけない。

会社を守り、家族が暮らしに困らないだけのお金を稼ぎ続けたい。
そのためには学び続けるしかない。

 

そうやって家族への思いを行動に繋げられない背景には、起業半年で廃業寸前まで追い込まれた苦い経験があり、その恐怖心が自分をどこまでも仕事へと突き動かしていた。

 

だから働くために学びを深めることに必死で、せっかく作り出した自由な時間も結局は働くために消えていった。

 

過ぎ去った時間

もう3年ほど前になる。

その頃のぼくは何か予定がない限り、ほとんどの時間を仕事か仕事のスキルアップの時間に充てていた。

 

そんなある日、仕事に行く準備をしていると・・・

妻に娘と公園に行ってほしいと言われた。

 

「公園?」

 

それもどうやら家のすぐ近くにある公園らしい。
考えてみたらそれまで娘と2人で出掛けたことはなかった。

 

仕事をしようと思っていたぼくは一瞬考えたが、娘と公園に行くことにした。

 

正直、当時3歳になる前の娘と2人で出掛けるのは不安だった。

妻がいない状況で自分一人だけで面倒が見れるのか心配だったのだ。

 

ぼくはそんな緊張を胸の中に留め、娘と手を繋ぎ家を出た。

公園に着くと娘は駆けまわり好きな遊具から順に遊んでいく。

 

しばらく横で眺めていると・・・

この前まで、ひとりで漕げなかったブランコをひとりで漕げるよになっていたり、ひとりで登れなかったジャングルジムもひとりで登れるようになっていたり・・・

 

(ちょっと見ないうちに成長したなぁ)

 

なんだか、あっと言う間に親の手から離れていく。

そして側で話すママさん達の会話を聞きながら公園のベンチに座っていると、ぼくもパパなんだなぁと実感した。

 

娘は楽しそうにママと公園であれをしたこれをしたと教えてくれる。

 
(ぼくは何もしてないなぁ・・・)
 
そう思い、娘の成長を振り返ると、過ぎ去ってしまった日々の尊さに胸が痛んだ。

ぼくは何か大切なことを見失い、突き進んできたのかもしれない・・・

 

あるはずの思い出たち

いつの間にか出掛ける前の緊張は消えていた。

帰宅して妻と話をすると、娘の友達は休日にはパパと2人で出掛けることも多いという。そんな話しを聞いた娘が「パパと2人でお出掛けがしたい」ということになったようだ。
 
普段から「パパがお仕事がんばってくれているからママたちはご飯が食べられるんだよ」と妻に言われている娘は、いつも仕事ばかりしているぼくに「公園に行きたい」とは言えなかったのだ。

 

(あぁ、ぼくは何も分かっていなかった。妻の気持ちも、娘の気持ちも・・・)
 
ぼくは自分の目標が家族の目標であるかのように錯覚して、いま目の前にある喜びを後回しにして、その目標に向け一直線に突き進んできた。

その結果、家族の暮らしを守ることはできたかもしれないが、精神的には寂しい思いをさせてしまった。
 
ただその寂しさを薄々感じていた自分も寂しかった。
寂しかったが生活の安定が心の安定になると自分に言い聞かせ働きつづけていた。

起業して3年間働き詰めの毎日が、自分は家庭人でもあることを忘れさせてしまったのだ。

夫や父親であることよりも起業家としての自分ばかりが顔を出し、娘の成長と共にあったはずの家族の大切な思い出を失ってしまった。

 

自分の時間を取り戻し、人生の主導権を握り、自分の人生を思いのままに生きられるようにする。

その目標へ向け一直線に突き進み、やっとの思いで掴みかけ、見えてきたことは、そこに至るまでに失ってきた「あるはずの思い出たち」だった。

 

今の喜びは今しかない

何処かに辿り着くまでも時間は止まってはくれない。
そんな当たり前のことに大切な時間を失ってから気づいた。

 

先の目標ばかりに気をとられていると、目の前にある大切な時間を失ってしまう。

 

「今」という時間は二度と戻ってこないのだ。

だから先の目標を視野に入れつつも、目の前にいる大切な人、大切なことから目を離してはいけない。

 

なぜなら目標へ向かう道のりで、大切な人と共に喜びを分かち合うこと、人生を分かち合うことこそが、生きることの喜びであり、楽しみであり、醍醐味であると思うから。

 

少し時間はかかったけど、今わかって良かった。

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失って気づいた大切なこと

 ・何かに集中するということは、何かに集中できないということ。目標に向け一直線に突き進むということは、それ以外のどこかに歪みが生じるということを自覚しなければならない。

 

夫や父親であることよりも起業家としての自分ばかりが顔を出し、娘の成長と共にあったはずの家族の大切な思い出を失ってしまった。

 

先の目標ばかりに気をとられていると、目の前にある大切な時間を失ってしまう。だから先の目標を視野に入れつつも、目の前にいる大切な人、大切なことから目を離してはいけない。

 

 

毎週水曜よる9時更新