何かを始める時。
まだ準備ができていないから
まだお金が貯まっていないから
まだ自分には実力が足りないから
そんな足りないことばかりが目について
自分には時期尚早だと足踏みをしてしまう事がある。
ただ、必要以上の足踏みは
「いつか」を「いつまで」に変えることなく
永久にその場へ留まらせてしまうことになる。
いつかやってみたいこと
いつか個展をやってみたいと思っていた。
好きな写真を撮り、好きな空間を創り、それを好いてくれる人たちと語り、心を分かち合い過ごす時間。
それがどんなに素晴らしい時間であるか、今のぼくは知っている。
ただ、個展をやり始める前の自分にとっては未知の世界でしかなかった。
体感したことのない、未知の世界へ向かうには、多くの準備が必要だと思っていた。
それは個展を開催するノウハウであったり、写真家としての技術的なことであったり、その写真を撮るアイテムがiPhoneということであったり、そもそも写真を撮り始めてからまだ1年ほどの経験しかないということであったり・・・
多くの準備が必要だと思っていたのは、そんな無い無い尽くしの現状を自分で理解していたからだった。
だから心の中で「個展をやりたい」と思ってはいても、口に出すこともなければ「いつかやってみたい」という思いが心の外に飛び出すことはなかった。
行動できない理由
いつかやってみたいこと。
なぜ、それは行動に結びつかないのか。
ぼくが思うに・・・
「いつかやってみたいこと」は、それをやらなくても生活に支障があるわけでもなく、何か困ることがあるわけでもないからだと思う。
個展をやらなくても生活はしていけるし、何か困ることがあるわけでもない。
逆に個展をやればお金もかかるし、制作に時間もかかる。
今の時代、SNSに投稿すれば写真は見てもらえるし、写真好きな人と関わることもできる。なんとなく「個展をやったら楽しそうだなぁ」という未知の世界に、わざわざリスクをとって向かう価値が見出せなかったのだ。
つまりリスクに対して、それ以上の価値が得られるか分からない事へ、行動することは躊躇われる。
だから「いつかやってみたいこと」という、ぼんやりした思いはいつまでも胸の中に留まり、現実の世界へ飛び出すことはなかったのだ。
行動する理由
それが無くても生きていけて。
それが無くても困ることはなく。
逆にそれをするとお金もかかり。
時間もかかり、失うものばかりが見えてくる。
つまり「いつかやってみたいこと」を行動に移さない理由は、新たな行動をすることで何か失うものが目に見えているから。
しかし、それは同時に新たな行動をしないという、既存の行動を選択していることにもなる。
では、もし既存の行動を続けることで、何かを失う可能性が見えた時、人は新たな行動に移ることが出来るのではないだろうか。
ぼくの場合、それは第二子の誕生だった。
命の配分
2016年の秋には子供が生まれる。
それが分かったのは、その年の1月が終わる頃だった。
2011年にひとり立ち上げた会社も軌道に乗り、やっとの思いで作り出した時間をこれからどう使っていくか。
長女も幼稚園に入り、妻も今までより自分の時間を持てるようになってきた。
夫婦の時間を楽しんだり、家族で旅行に行く機会も増え、家族としても自分としても新たなライフステージに移ろうとしている、そんな中での出来事だった。
子供が生まれることは素直に嬉しい。
ただ「嬉しい」と同時に、父親としては気が引き締まる思いでいっぱいだった。
長女が生まれたばかりの頃は、起業してまだ日が浅く、事業を軌道に乗せるために、土日平日も関係なく働き詰めの毎日だった。
家族の生活を守るために、会社を守ることに必死で、目の前にあった家族との大切な時間をいくつも無くしてしまった。
だから今度こそは・・・
目の前にある大切な時間を見逃さないように。
自分の命は自分が大切だと思うことだけに使いたい。
第二子が生まれることをきっかけに、自分がこれから何に時間を使っていくのか、心底考えるようになった。
限られた時間
家族との時間。
今度こそ大切な時間を無くしたくはない。
父親としてそう思うのと同時に、一個人として考えることもある。
子供が生まれれば、どうしても自分一人で使える時間は減っていく。
確かに時間は減っていくが、そこで自分のやりたいことを諦めたくはない。
その限られた時間を、これまで以上に自分にとって喜びのある時間に変えていけばいい。
家族との時間を充実させながら、一個人としての時間も充実させていく。
家族か自己実現かで判断するのでなく、家族と自己実現、両方できる方法を探していく。
あれかこれかで選ぶのではなく、あれもこれも出来る方法を探していく。
◯か✖️かで判断するのではなく、△も含めて探していく。
ただ、子供が生まれる秋以降は妻のサポートを第一に考えたい。
そう思うと秋以降に新しいことを始めるのは難易度が高い。
(動きやすいタイミングは夏まで・・・今なら何かを始めることができる)
2016年の春、ふつふつと湧き出す思いを心に留めておくことができず、ぼくは妻に言った。
「夏に個展をやることにした」
すると妻は・・・
「出産前に楽しみができた」
そう言ってぼくの背中を押してくれた。
ぼくは正直ホッとした。
何故なら、それを伝えた時には既にギャラリーの予約をしていたのだから。
「いつか」が「いつまで」に変わったとき
「いつか」が「いつか」のままであったワケ
それをやらなくても生活に支障はなく困ることもない。逆に新たな行動をすることで時間やお金など何か失うものがある場合、そのリスクに対して、それ以上の価値が得られるか分からない未知の事へ、行動することは躊躇われる。
「いつか」が「いつか」のままではいられなくなった動機
このままでは現状維持すら難しいということを知り、これまでと同じ行動を続けていたら失うものがあると認識できた時、それを回避するために新たな行動に移る力が湧いてきた。
「いつか」が「いつまで」に変わったとき
失うものの中には「時間」も含まれる。あらゆる時間、そのタイムリミットを心底理解できた時に「いつか」は「いつまで」に変わっていた。
大切な人が傍にいてくれる残り時間。
父や母と元気に会える日はあと何回あるだろう。
自分が最も健康でいられる残り時間。
定年後の後回しにしている遊びはないだろうか。
あらゆる時間は二度と戻ってはこない。
その1つ1つの時間には必ずタイムリミットが存在している。
そのタイムリミットを知り、自分の中に眠る「いつかやってみたいこと」をやってみる。
ぼくにとってそれは、両親と旅行に行くことであったり、小さな子供を抱えて家族で日本を横断することであったり、自分の自由に使える時間を見つけて個展をやったりすることである。
そうやって大切な時間を大切にすること。
時間は二度と戻らない命の欠片の一部であることを日々思い出し、その尊さを受け入れることが「いつか」を「いつまで」に変えて、新たな人生の扉を開いてくれる。
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