2014年11月。
晴れた日の日曜日。
妻と子供が出掛けた後のリビングでぼんやり外を眺める。
家にいるのも暇で、特別に行きたい場所もなく、なんだか時間を無駄にしているような気がして、また今日も事務所に籠って1人仕事に打ち込む。
僕は仕事に打ち込むことで、このどうしようもないモヤモヤを無い事にしようとした。
起業して3年半が経っていた。
独立したての頃は休む間も無く我武者羅に働いた。
子供もまだ生まれたばかりで、会社を潰すわけにはいかない。
それこそ死に物狂いで働いた。
今やっている仕事が好きとか嫌いとかの前に、稼がなければ家族を路頭に迷わせてしまう。
だから生きるために必死に働いた。
そして、会社が軌道に乗りさえすれば自由を手に出来ると思っていた。
そんな創業期をなんとか乗り越え会社も4期目に入っていた。
しかし、いざ休みが取れるようになり、僅かではあるが自由を手にしてみると、自分が休みの日に何がしたいのか全く分からなかった。
どこに行っても、何をしてても心が満たされなくて、楽しいとか嬉しいとかを感じられなくなっていた。
ちょっと大袈裟な様だけど、生きてるのに死んでるような時間を過ごしていた。
会社員だった頃は、起業すれば自由になれると思っていた。
起業したての頃は、会社が軌道に乗れば自由になれると信じていた。
しかし、会社が軌道に乗り、時間は自由になったかもしれないが、心が自由になることはなかった。
起業したことに、人様に誇れるような立派な大義名分も高尚な志もない。
ただ自分の人生の主導権を、この手に取り戻すための起業だった。
好きなことをして生きていきたい。
ただそれだけだった。
それなのに、いざ自由を手にしてみると自分が何をしたいのか、さっぱり分からなかった。
SNSで流れる同世代のリア充してます!って投稿を見るたびに自分の現実が虚しく思えた。
だから休みの日も仕事に打ち込んで全てを忘れようとした。
この頃の僕は、自分が何をしたいのか?
自分は何が好きなのか?
全く分からなくなっていた。
ただ好きなことをして生きていくためには、自由が必要だと思っていた。
この頃「僕にとっての自由とは、時間を自由に使えること」だった。
だから時間を自由に使えるようにするために起業した。
自分のやりたいこと。好きなこと。
そういった気持ちを無視して何年間も過ごしてきた。
自分の気持ちなんて押し殺して、上手くいきそうなことや儲かりそうなことばかりに目を向けてきた。
そうしなければ生きていけないと思ったし、絶対に負けられないという思いで、何か目に見えない敵と常に戦っていた。
僕は僅かな自由と引き換えに、心の泉を失った。
そんな乾ききった心に一筋の光が射す。
家族で妻の実家に帰省した時のこと。
夕方のフライトまで時間があったので近くの公園で子供を遊ばせていた。
子供と遊んでいる時ですら、仕事のことが頭をよぎる。
親としての自分を不誠実だと思うとともに、目の前のことに集中出来ない自分も嫌だった。
そんな夕暮れ。
パシャ!パシャ!!
カメラの音がした。
振り返ると見たこともないくらい綺麗な夕陽がそこにはあった。
僕が思い出せる限りで夕陽を「見た」のは、それが初めてだった。
これまで幾度となく見ていたであろう夕陽に初めて感動した。
僕は立ち尽くし、その夕陽が沈むのをただ見送った。
もう頭の中には何も無くなっていた。
そして、じわじわと心の泉から熱く湧き出す何かを感じた。
僕が求めていた自由とは、心を喜ばせることだったのだ。
日々、心を喜ばせる生き方をしていきたいと思っていただけなのだ。
つまり「僕にとっての自由とは、幸せな気分で生きること」だった。
そのことにようやく気付けた。
これまで長い間求め続けていた自由は、時間を自由に使えるようにすることだった。
しかし、その時間を手に入れただけでは、心が自由になることはなかった。
手に入れた時間を何に使うかまでは考えてこなかったし、リアルに想像もできなかった。
だから、とにかく時間を手に入れることだけを考え事業を進めてきた。
もしも自分にとっての自由が「日々、心を喜ばせ、幸せな気分で生きること」であることが分かっていたのならば、もっと他の道もあったと思う。
リスクを負い起業することもなく「日々、心を喜ばせ、幸せな気分で生きること」は出来たであろう。
自分が何を自由と捉えるか?
どんな気持ちで、毎日を生きていきたいか?
自分と向き合い、心の声にちゃんと耳を傾けてあげれば良かった。
心の声を無視して、何かを成し遂げたとしても、それでは心が喜ばないことすら、渦中の自分には分からなかった。
だから随分と遠回りをした。
でも過ぎてしまったことは仕方がない。
これからの人生は「日々、心を喜ばせ、幸せな気分で生きること」で埋め尽くしていきたい。
それは自分に対しても、自分以外の他者に対しても。
それが僕にとっての自由のカタチだと思うから。
自分の心と向き合い続けること。
それが最も普遍的な
自分への贈り物なのかもしれない。
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