2017年8月25日配信。
WEBマガジン「ORDINARY」掲載記事より(一部改変)。
原文ママの記事はコチラ↓↓↓
TOOLS 102 好きなことの本質に気づく方法 – 起業すれば自由になれるのか? / 若杉アキラ | ORDINARY(オーディナリー)
〈前編〉はコチラ↓↓↓
気分転換の散歩道で
iPhone写真を撮り始めるようになる
いつものカフェに向かい、足早に通り過ぎていった、いつもの道。
いつもと同じ席で、いつものブレンドを注文し、いつものように本をひらく。
ひとり心を落ち着かせ、自分の内なる声に耳を傾けていく。
それは2時間も3時間も、時には4時間くらい。
ひとり心静かな自分の中へ、深く奥まで入り込んでいく。
ただ長いこと同じ姿勢で座っていると、だんだん体が痛くなってきて、頭の中もくしゃくしゃになってくる。だから、体をほぐしついでの気分転換に、帰り道は近くの河原や公園を散歩するのがお決まりのコースであった。
いつも素通りしていた河原に足を運び、いつも足早に通り過ぎてきた街並みを眺める。この街で慌ただしく過ごしてきた日々が嘘のように、ぼくが知る日常のすぐそばに穏やかな時は流れていた。
当初はぶらぶらと歩いているだけだったが、いつしか持っていたiPhoneで写真を撮るようになっていた。そして数年の時が経ち、今は日々撮った写真をSNSへ投稿することが自分の日課となった。
iPhoneを片手に街を歩くだけで、自分の心にアンテナが立つ。
その心のアンテナに触れる一瞬を、iPhoneで写真に収める。
そんな僅かなことで、いつもの見慣れた景色が、いつも違う景色だったことに気づき、毎日が愛おしく思えるようになっていった。
自分以外の何者かになる必要はない
好きなことは胸の中にある
「こんな単純なことだったのか…… 」
自分の好きなこと、本当にやりたいことは、どこか遠くにあると思い込んでいた。だから本を読み、見識を広げようともした。「今の自分の中に答えはない」と思っていたから……
確かにそれは、一度立ち止まり自分を見つめ直す、大切な時間だった。しかし、答えを外に求めようとする姿勢が、これまで自分を苦しめていたことに、写真を撮り始めてやっと気づくことができた。
答えはこの胸の中に… 好きなことの本質は、自分の胸の中にあったのだ。
それはどこか遠くにあるわけでもなく、誰かが与えてくれるものでもない。
誰かと同じである必要もなく、自分以外の何者になる必要もない。
ぼくの場合、写真を撮り始めたことで、毎日が「宝探し」となった。写真を撮りたいと思ったことで心にアンテナが立ち、自分の見える世界が一変した。その心のアンテナに触れる一瞬を写真に収めるのが、今は楽しくてたまらない。
それでぼくは、やっと気づくことができた。
自分の好きなことの本質は「宝探し」だったのだ。
本質は、子どもの頃から変わらない
少年時代、虫採りや魚釣りが大好きだった。
夏になれば、学校が始まる前でも早起きしてクワガタを探しに自転車を走らせ、魚釣りに行く日は、雨が降っていてもカッパを着て外に飛び出していった。雨でずぶ濡れになることよりも、魚釣りに行きたくて仕方なかったのだ。
いま思えば、どちらも自分にとっては「宝探し」であった。虫採りも魚釣りも、自ら考え行動を起こさないと「宝探し」の「宝」となるクワガタも魚もつかまえることはできない。
・絶対的な答えのない世界で、
・自分の心に触れる「宝」を掲げ、
・自分の頭で考え進み続けること。
これが、ぼくの好きなことの本質であり、好きな生き方なのだ。
そう改めて考えてみると「宝探し」の要素は、ライスワーク(食べていくための仕事)として続けている不動産業にもしっかりと結びついていた。
ぼくは、新しい物件や値下がりした物件をいち早く見つけ購入するために、毎日朝昼晩と欠かさず新着物件のチェックをしている。自分が好む「小さな不動産を何戸も集め貸し出すスタイル」は、一般的には「手間もかかり面倒な仕事」という位置付けで、同業者はあまりやりたがらない。
しかし、ぼくにとっては毎日が「宝探し」という感覚なので、まったく飽きることがない。だから、「手間もかかり面倒な仕事」を飽きずに6年以上もやり続けてこれたのだ。
その気持ちは今も変わらず、新しい物件を探すことは、毎日楽しみの1つである。
お金を稼ぐためだけのライスワークだと思い込んでいた不動産の仕事。しかし、その中にも自分の好きなことの本質である「宝探し」の要素がしっかりと組み込まれていたのだ。
たとえ始まりがライスワークであったとしても、その中に自分の好きなことの本質が見い出せたら、それは自分のライフワーク(天職、生涯の仕事)に変わっていくのかもしれない。
人間はひとりひとり違う
あなたの本質はなんだろうか
好きなことが分からない時間は、苦しかった。
しかし、あの苦しかった日々があるから今の自分があるのは間違いない。独立して全力で駆け抜けた創業期から、一度立ち止まり自分を見つめ直すことで、「自分が本当は何を求めているのか」を知ることができた。
もし、あのまま全力疾走を続けていたら、事業規模こそ大きくなっていたかもしれないが自分の時間も家族と過ごす時間も無く、何のために仕事をやっているのか本当に分からなかった。
それはおそらく、自分にとっては不幸だったと思う。
ぼくの場合、写真を撮り始めたことで世界を見る視点が変わり、自分の好きなことの本質が「宝探し」だと気づくことができた。
しかし、好きなことの本質は人それぞれ違う。ぼくの場合は「宝探し」だったけれど、ある人の場合は「わかりやすく教える」かもしれないし、「未知の法則を発見する」かもしれない。
他にも、
・弱者を助ける
・愛情で包み育てる
・新しい提案で驚かせる
・注目を浴びて表現する
・自分の限界を超える
・美しくつくる
・収集して共有する… などなど
ひとりひとり違うので、それは自らの心に問いかけ、見い出していくしかない。
ただ、好きなことの本質を見つけるカギは、日々純粋に好きなことをやり飛びまわっていた少年時代の自分が握っているように思う。
幼い頃、夢中で遊んだことはなんだろうか。
時を忘れ、日が暮れるまで熱中したことはなんだろうか。
きっとその中に、自分の好きなことの本質は眠っている。
好きなことの本質に気づく方法
1. ひとり心静かな時を持ち、自分の内なる声に耳を傾けてみる。読書をしながら著者と対話をするように自分と向き合っていくとやりやすい。
2. 仕事や日常生活の中で「飽きずに長年続けていること」をリストアップしてみる。複数あった場合、その共通する部分に好きなことの本質は眠っている。
3. ただ好きな遊びに夢中になっていた子ども時代の記憶を呼び覚ますために、ひとり思い出の場所に戻り、いつもよりちょっと力を抜いて歩いてみる。
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