ああ、これは人生の転機かもしれない。
突然の出来事に日常は一変して非日常となり、その非日常が日常へと定着していくなかで、自分の胸にふと浮かび上がってきた言葉が「人生の転機」でした。
はじまりの合図もなく、気づいたときには渦中にいるのが転機というもの・・・
そこには決められたスタートもなければ終わりもありません。もちろん正解や不正解などなく何かのルールに縛られることもないのです。
すべての舵取りは自分次第。
ぼくたちはどこへでも行けます。
止まりたかったら止まればいいし、歩きたかったら歩けばいい。
そんな心持ちでいることが人生の転機を軽やかに乗りこなす秘訣のように思います。
さよならから、いつも
あの時がすべての始まりだった。
時が経ち、人生の転機を振り返ったとき、そこにはいつも「さよなら」がありました。さよならしてきたのは、人だけではなく物や場所、これまでの考え方や思い出まで・・・
さよならすることは新しい自分に生まれ変わるために、必要な変化であり、だれもが主人公として歩む物語なのかもしれません。
たとえば、大好きな人や大好きだった人。
自分にとって大切な時を過ごしてきた人と、離れる決意をすることは簡単ではありません。想いが深ければ深いほど、過ごしてきた時が長ければ長いほど、そこから離れるにはエネルギーが必要なのです。
その渦中で人は立ち止まり、頭の中で過去と現在を行ったり来たりしながら、少しずつ新しい自分に生まれ変わっていきます。
いつも、あの時の「さよなら」がなければ、何も始まらなかったのです。
ほんとの自分
たぶん私たち大人は、はやく歩きすぎたのです。
学校でも会社でも、はやく先に進まなければ、社会から取り残されてしまいそうで・・その結果「自分は何者か」考える間もなく、気がつけばどこか違和感のある世界で毎日を過ごしていたのです。
もちろんこの違和感を抱えたまま、先を急ぐこともできます。
しかし、もし今日と同じ明日を望まないのであれば、一度立ち止まり、自分の感情と向き合うことで、思いがけない道も見えてくるものなのです。
誰もアナタになることはできない
あの人のようにならなくては、あの人のようにできなくては・・・
この「あの人のように〜しなくては」という思考は絶えず私たちを苦しめます。ましてや、みんなが上手くやっていることを自分だけ上手くできないのは結構ショックなものです。
しかし、自分は普通にやったつもりが他人より上手くできてしまった。
誰しもそんな経験があるのではないでしょうか。
それがどんなに些細なことだとしても、他人はアナタのように上手くはできません。そんな特殊能力をアナタも秘めているのです。
記憶のアルバム
ときどき、ふと思いだす。
アルバムみたいな記憶の1ページ。
自転車の旅やカブトムシを採りに行ったこと。
いつも前を走る父さんの背中は大きかった。
ふり返れば母さんがいて、いつも近くで見守ってくれていた。
そんなアルバムみたいな記憶の1ページ。
いつ、どんなときも、確かに自分は愛されていた。
そんな宝物みたいなアルバムの1ページ。
自分の歩幅で
気がつけば、ずいぶん遠くまで歩いてきました。
歩きだす前は見えなかった道の先に、いま私たち大人は立っています。
これまで全速力で駆け抜けてきた人も、休み休みのんびり歩いてきた人も、いつ終わるかも知れない旅の途中、いまここにいます。
長い旅を続けていると一見遠回りに見えた道の途中に、人生の転機や変化のきっかけは無数に散りばめられています。その度に一喜一憂して泣いたり笑ったり、人間の感情ってなんとも忙しいものです。
ただ、忙しくも移り変わる感情の波は、たとえいまが良くても悪くても、時の流れとともにすべてを洗い流してくれます。
だから、いま前に進むことができなくても、ゆっくり自分の歩幅で進みだせばいいのです。
毎週水曜よる9時更新